【親友との別れ】「青のすみか」の歌詞の切ない意味を考察

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青のすみか、歌詞考察

この記事では、『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」のOPテーマである「青のすみか」の歌詞を考察する。

歌詞と音楽がレトリック(主張を伝えるための技法)として高度に結びついた楽曲となっている。
作詞作曲のどちらもキタニタツヤ氏が手掛けているからこその完成度だ。
これは天才的だと曲を聴いて素直に思った。
(あまり使いたくない言葉だが)

学校のチャイムが曲中に使われており、楽曲を包む郷愁の正体が「青春への思い」であることを示している。

もったいぶらないようにストレートな考察を心がけたつもりである。
あなたが考える歌詞の意味と照らし合わせて見て欲しい。

この記事でわかること

「青のすみか」の歌詞の意味を考察!

どこまでも続くような青の季節は

四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

青の季節は、青春を表す。
この後の歌詞で「蝉時雨」とあることから、夏のことも指している。
夏は草木が生い茂り、生き物が最も活発に動く季節。
人生を春夏秋冬に照らし合わせるなら、「夏=青春」である。

青春時代の僕たちは、この日々が「どこまでも続く」と思い込んでいる。
「続くような」が示すとおり、それは本来「いつかは終わる」ものだ。
「青のすみか」の1番の歌詞は、青春時代の真っ只中にある僕らの視点で書かれている。

「四つ並ぶ眼」は、人間が2人揃った様子を描写する。
五条悟と夏油傑は最強で、2人の前に立ちはだかるものは何もなかった。
現実のふつうの高校生は彼らのように最強ではない。
しかし、青春特有の万能・無敵感は共通して感じたことがあるだろう。

筆者も、騒がしい高校生を見ると、うるさいと感じる一方でどこかで羨ましいと感じることがある。
人生でたくさんの不安を経験し、当時と同じ感覚には戻れないことがおじさんになると分かる。

アスファルト、蝉時雨を反射して

きみという沈黙が聞こえなくなる

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

「アスファルト」「蝉時雨」は、夏の季節のノイズを示す。
青春の多感な時期だからこそ、小さな出来事に乱され、友達の心の内が見えなくなることがある。

五条悟と夏油傑にとってのノイズは、「“星漿体”の護衛と抹消」の任務がそうであったかもしれない。
キャラクターではない現実の学生も、進路や勉強、恋愛で親友のことを見失うことがある。

「沈黙が聞こえなくなる」ということは、裏を返せばかつては沈黙が聞こえていたということだ。
元々は「言葉がなくても気持ちが分かる」関係だったが、いつしか親友の本音が分からなくなってしまった。

「きみという沈黙」には別の意味がある可能性もある。
「親友だからこそ、強がって本音が言葉にできない」のではないかとも思っている。

この日々が色褪せる

僕と違うきみの匂いを知ってしまっても

置き忘れてきた永遠の底に

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

どこまでも続くと思っていた青の季節が、ふいに色を失う。

五条悟は、夏油傑が相容れない考えを持っていることを知ってしまった。
「匂いが違う」の表現は、人間と動物のように「異なる生き物(種族)であること」をイメージした。
「親友は自分と違う生き物で、分かり合えないかもしれない」と知った、ということである。

親友のことは何もかも分かっていると思っていても、実際はそれぞれが違う考えや個性・能力を持っている。
進路や就職など、同じ道を歩き続けることはできない。

「置き忘れた」のは親友との別れに対する後悔であり、 もう手が届かない過去という「永遠の底」に残り続ける。
かつて「どこまでも続く」と思っていた青春の長い時間の感覚も相まって、過去がどれほど遠いものかを感じさせる。

今でも青が棲んでいる

今でも青は澄んでいる

どんな祈りも言葉も 近づけるのに、届かなかった

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

心の中に青春の思い出は後悔として残り続けた。
今でもそれは鮮明なままである。
(「棲んで」と「澄んで」)

親友への言葉や思いは、すぐ近くにいても届けられなかった。

「近づけるのに、届かなかった」は、五条悟の無下限術式そのものである。
攻撃は近づくのに、存在する無限ゆえに永遠に到達しない。

自分の能力と同じ境遇が、親友との関係に訪れたことを皮肉っている。

まるで、静かな恋のような

頬を伝った夏のような色のなか

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

「静かな恋」は、燃え上がらない、やり取りがない恋を指す。
「言わなくても、自分のことを分かって欲しい」という思いがそこにある。

このワードは深い意味というよりは、曲の歌詞としての緩急の要素が強いと感じる。
曲全体が占める水色の世界に「恋」の色が足されることで、華やぎと落ち着きが生まれる。

「頬を伝った夏のような色」は、涙に違いない。
ただ、この「色のなか」の部分は、メロディに音階以外の音が使われている。(刺繍音)
さらりと通り過ぎることができない、苦味や濁りを含んだ色なのだろう。

きみを呪う言葉がずっと喉の奥につかえてる

「また会えるよね」って、声にならない声

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

この部分の歌詞は「きみを呪う言葉」が「また会えるよね」を指すのかどうかで意味が変わってくる。
どちらとも取れる部分だ。

「きみを呪う言葉」はもしかしたら、「どうして!?なんでなんだよ!?」という親友に向けたやり切れない叫びなのかもしれない。
無情なことに声をかけるべき相手はこの世に存在しない。

大人は子供のようには「弱音」や「叶わない願望」を素直に口に出すことができない。
「声にならない声」のように、叫びは形にならず胸の内へ飲み込まれる。

昼下がり、じめつく風の季節は

思い馳せる、まだ何者でもなかった僕らの肖像

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

「青のすみか」の2番の歌詞は、大人になった現在の視点で描かれる。
とするなら、「風の季節」は「青の季節」とは違う季節を表現しているだろう。
過去と違って「じめつく」今だからこそ、もう戻れない青の季節に思いを馳せてしまう。

「肖像」は、過去の人物を切り取るものだ。
「親友と過ごした日々」が既に過去であることを、大人になって噛みしめる。
「前を遮るものは何もない」と青春時代には思っていても、振り返ってみれば僕らはまだ何者にもなれてはいなかった。

何もかも分かち合えたはずだった

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

生き物として、人間として、相手のことを完全に理解することはできない。
それでも青の季節には「沈黙から聞こえる」ほどにお互いを分かり合えたと思っていた。

「分かり合える」ことはできなくても、親友の痛みを「分かち合う」ことはできたはずなのである。
考えの違いや苦しみのような「何もかも」を。
過去の行動に対する後悔はいつまでも残る。

あの日から少しずつ

きみと違う僕という呪いが 肥っていく

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

あの日は「親友と道を違えた日」である。

「太る」は「fat」の意味があるが、「肥る」は「grow(成長)」の意味合いで使われるらしい。
「呪いが肥る」であれば、「呪い」がマイナス、「肥る」がプラスなので、ネガティブな表現である。
「きみと違う僕という呪いが肥る」の意味には、いくつかの可能性がありそうだ。

  • 正しいと信じて心に持つ信念が、親友の思いとは乖離していくこと
  • 先生になり生徒を持ち、幸せな日々を送ることへの罪悪感
  • 親友との別れを悔み、呪う気持ちが増す

月日の流れによって、抱える思いや人間関係は変化していく。
「肥っていく」と表現したのは、現在の自分が親友といた頃と同じではいられないことを憂いているからである。

きみの笑顔の奥の憂いを

見落としたこと、悔やみ尽くして

徒花と咲いて散っていくきみに さよなら

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

この部分の歌詞はストレートである。
親友の変化に気付いてやれなかったことへの後悔が溢れる。
「悔やみ尽くして」の部分のフェイク(歌い方)にそれが表現されている。

「徒花(実を結ばない花)」のように願いを遂げられず、命を散らした親友に別れを告げる。

今でも青が棲んでいる

今でも青は澄んでいる

どんな祈りも言葉も 近づけるのに、届かなかった

まるで、静かな恋のような

頬を伝った夏のような色のなか

きみを呪う言葉がずっと喉の奥につかえてる

「また会えるよね」って、声にならない声

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

サビの歌詞は、繰り返しを通じて変わらない内容となっている。
だが、聞き手に与える印象は1度目とは異なる。

音楽は「全く同じフレーズでも、前後の文脈によって意味や感情が変化」する。

このサビも、直前に「さよなら」と別れを告げたことによって思いの強さが変化する。
「さよならと一度は言った。それでも心に青春の思い出は棲んでおり、今でも忘れることはできない。」という1段上の感情を表現する内容となっている。

無限に膨張する銀河の星の粒のように

指の隙間を零れた

青のすみか 作詞・作曲「キタニタツヤ」より引用

楽曲の最後の部分に付けられたフレーズであり、音程の幅が他の部分に比べて狭い。
歌詞の通り、銀河の奥に吸い込まれていくような印象がある。

「青のすみか」は歌詞と音楽表現がリンクしている場面が多い。
(1番の「どこまでも」の音程の跳躍の爽やかさや奥行き、「僕と違うきみ」「きみと違う僕」のシンコペーション)

「無限に膨張する銀河~」の歌詞は、主人公(五条悟)が神になったかのような内容である。
アニメのOP映像においても、銀河を掴む手の描写がある。

星は親友の命であり、銀河にある輝きのひとつでしかない。
それでも掴み取ろうと手を伸ばしたが、彼方へ消えていった。
無情な出来事に対する俯瞰した視点だ。

無限は五条悟の能力であり、最強と呼ばれる人物であっても大切な存在を失うことがある。
むしろ行き過ぎた能力は孤独に繋がるのかもしれない。
サビの「近づけるのに届かなかった」の歌詞の通り、「最強であったことで、むしろ人との距離が生まれた」とも取れる。

結局、曲名の「青のすみか」ってなんなの?

曲の題名「青のすみか」は、「青=青春の思い出」が棲むところであり、五条悟の心の中と言える。
語呂を考慮して「すみか」にしたのだろう。

文字数やかっこよさを無視して直訳したタイトルを考えるなら「僕らの心に棲んでいる、忘れられない澄み渡った青春の思い出」あたりが妥当ではなかろうか。

「青のすみか」は歌詞、音楽のどちらも非常に優れた曲である。
仕事中の暇なときに考察を書いていたら泣いてしまった。

ちょっと筆者の話をする。
中学時代の親友に再開したら「友人がかつて夢と言っていた仕事をメンタルを病んで辞め、マルチ商法にハマっていた」ことがあった。
その際、説得を試みたが、上手くいかず。
この曲には「友人が闇落ちして関係が途絶える」という点で、共感してしまった。

カエル

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青のすみか、歌詞考察

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