【鬱で正解】小説をふまえて映画版「秒速5センチメートル」の結末を考察する。

PR〈景品表示法に基づく表記〉
秒速5センチメートル

この記事では、新海誠監督の最高傑作「秒速5センチメートル」を考察する。
映画をメインの情報源とし、不足する部分は小説から補った。

この作品はよく「鬱」だと言われている。
当時はよく「鬱展開」「鬱エンド」という言葉が使われていた。
(まどマギ、School Days、ひぐらし等)
「鬱」はミームとしての表現であり、意味が正確かどうかはあまり気にしない。

「鬱」と言われるほどに「秒速5センチメートル」は観た人の感情を大きく揺さぶる作品である。
悲しさによって、映画館で立ち上がれなかった人がいるほどだ。

作品を観てすぐに分かる悲しさの理由は、以下の2点だろう。

  • 大人になった貴樹が不幸
  • 叶わなかった恋の切なさ

だが、「秒速5センチメートル」が感情に訴える理由はこれだけではない。
心に届く描写が作品のいたるところに隠されている。

この作品が伝えたかったメッセージは何なのか。
何が我々の心を捉えたのか。
「秒速5センチメートル」を考察した。

【動画で観たい人はこちら】

この記事でわかること

映画の冒頭「たったの1分」に込められた劇的なメッセージ

映画「秒速5センチメートル」は、冒頭の1分に深いメッセージが込められている。
第1話「桜花抄」のタイトルが流れるまでの貴樹と明里のやりとりだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、小学生の貴樹と明里

満開の桜の下、貴樹と明里は会話する。
「ねぇ、秒速5センチなんだって、桜の花の落ちるスピード」
「ふーん、あかり、そういうことよく知ってるよね」
「ねぇ、なんだか、まるで雪みたいじゃない?」
「そうかな?」
「ねぇ、待ってよ!」

明里は坂道を先に駆け出す。
線路に踏切が落ち、阻まれるふたり。
傘を指しながら、笑顔で明里が言う。
「貴樹くん、来年も一緒に桜、見れるといいね」

秒速5センチメートルの桜花抄、踏切の先の明里

このわずか1分に「秒速5センチメートル」の縮図が詰まっている。
映像や音楽は美しいのに、表現されている内容は悲しい別れの予感である。

満開の桜を見ない、散る花びらを見る2人

冒頭1分のシーンにて描かれる桜は満開である。
小説版「秒速5センチメートル」にも同様の描写がある。

ふつうの人であれば、満開の桜を見て花見でもするところだろう。
だが、貴樹と明里は桜を見ていない。
秒速5センチメートルで落ちてゆく桜の花びらを見ている。

秒速5センチメートルの桜花抄、花びらを受け止める明里

ふたりの境遇は似ており、父親の仕事で転勤が多いことから転校を経験していた。
そのため、同世代の子供たちよりも別れに敏感であった。

「満開の桜」のように幸せのピークが目の前にあっても、貴樹と明里のふたりは「散る桜の花」のような終わりや別れを意識している。

花びらが雪に見える明里、そうは思えない貴樹

同じように「散る桜の花」を見るふたり。
だが、明里には花びらが雪に見える
貴樹にとっては「桜は桜、雪は雪」で見たままである。
ふたりの意見は食い違う。

このあとのシーンでは、明里が先に走り出す。
「明里は貴樹の先を行く存在」なのである。
(別の場面でも同じ描写がある)

秒速5センチメートルの桜花抄、明里は貴樹より先に駆け出す

よく似たふたりだが、進むスピードは同じではない。
明里がすでに分かっていることが、貴樹には分からない。
どうして明里には「花びらが雪に見える」のか。

桜は春の象徴、雪は冬の象徴だ。
春は命が芽吹く季節であり、冬は草木が枯れて眠りにつく季節である。

明里は、春の象徴である桜の花びらに冬を重ねて見ている。
貴樹よりも強く別れや終わりの気配を感じているのだ。

冒頭の1分の最初のカットでは「水たまりに桜の花びらが落ちる」様子が描かれている。
この場面、桜は満開のはずだ。
しかし、水たまりに映った木にも、影にも、「桜の花」は一切描かれていない。
花や葉のない冬の桜の木が描写されている。

秒速5センチメートルの桜花抄、水たまりに映る桜の木

映画「秒速5センチメートル」では、雪は別れや悲しみを表す。
雪は物語の中で何度も登場するため、他のシーンもぜひ確認してみてほしい。
(第3話に「雪=別れ・悲しみ」である根拠が登場する)

「ねぇ、まるで雪みたいじゃない?」という明里の声色は非常に無邪気だ。
だが、「桜の花が雪に見えない」小学生の貴樹よりも、明里は別れの気配に敏感である。
桜の花びらに対して傘を指す明里は、これから訪れる悲しみと別れに備えているように見える。

秒速5センチメートルの桜花抄、傘を差す明里

明里は「貴樹くん、来年も一緒に桜、見れるといいね」と言った。

セリフのニュアンスだが、「見れるといいね」の語尾が下がって尻すぼみに聴こえる。
映像の明里は笑顔だが、言葉には自信がない。
「たぶん見れないと思うんだけど、でも、見れたらいいなぁ…」という意味合いの演技が行われている。

さらに深堀り。
背景をチェックしてみると、黒と黄の安全第一の標識や工事車両の赤白の縞模様が描かれている。
美しい春の描写を描こうとしたとき、作り手がこんなものをわざわざ書くだろうか。
さりげないながらも、背景で「将来への警告」「変化の予感」が示されている。

秒速5センチメートルの桜花抄、通行止めの立て札
秒速5センチメートルの桜花抄、通行止めの立て札
秒速5センチメートルの桜花抄、立入禁止の札
秒速5センチメートルの桜花抄、踏切の先の明里

あらためて、明里は貴樹よりも先に駆け出す存在である。
先を見通す明里の不安は、正しい。
一緒に桜を見る日が来ないことを明里は感じとっていた。

第1話「桜花抄」を解説する

秒速5センチメートルを構成する3部のうちの第1話「桜花抄」は、貴樹が中学生のシーンから始まる。
その後は、「小学生の明里と貴樹の回想」と「今の中学生の貴樹」を繰り返しながら場面が進んでいく。

貴樹は一見うまくやれているようであるが、明里と離れたことでの生きにくさを感じていた。

秒速5センチメートルの桜花抄、息を切らす貴樹

一人で生きていく貴樹の姿から描くことで、「小学生の回想」を途中に挟んだとしても、最終的にふたりが離ればなれになってしまう結末が示されている。
「ハッピーエンドにはならないことを理解して、小学生の場面を観てね」という作り手側の意図だ。

物語の冒頭から、別れを感じさせる構成になっている。

明里からの手紙を素直に喜べない貴樹

桜花抄の冒頭、中学生の貴樹は授業中に明里からの手紙を読んでいる。
手紙の一点を見据えて、感傷に浸っているようなまなざしだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹の表情は読みにくい

この場面、実は貴樹は明里からの手紙を素直に喜ぶことが出来ていない。

アパートの集合ポストの中に薄いピンク色の手紙を見つけ、それが明里からの手紙だと知った時、嬉しさよりもまず戸惑いを感じたのを覚えている。
どうして今になって。と僕は思った。
この半年間、必死に明里のいない世界に身体を馴染ませてきたのに。
手紙なんてもらったらー明里のいない寂しさを、僕は思い出してしまう。

小説「秒速5センチメートル」より

貴樹なりに、明里がいない世界で生きるための努力を重ねていた。
日常の描写であるが、実は生きにくさを感じる貴樹の様子が挟まれている。

秒速5センチメートルの桜花抄、不安そうな貴樹

この後は中学生として生活する貴樹の様子が描かれる。
一見すると順調そうに見えるのだが、貴樹の書きかけの手紙を見るかぎりではそうでないようだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹の手紙

僕は、今の中学がそれほど気に入ってい〜(貴樹の手で見えず)
もし明里が同じ学校(以後、書きかけの状態)

映画「秒速5センチメートル」より

書きかけ手紙は、自立を始めたかもしれない明里に素直に弱さを打ち明けても良いのか、迷っているようにも思える。

空を飛ぶ「鳥」は明里の元へ飛んでいきたい貴樹を表す

貴樹は鹿児島へ転校することが決まる。
卒業の前に貴樹は、栃木にいる明里へ会いに行くことを決めた。

映画では、明里のモノローグの中「夜景を飛ぶ鳥が、明里の元へ向かう様子」が描かれる。
小説の中では、貴樹が見ている夢の中で「貴樹が鳥になって明里の元へ飛ぶ」。

秒速5センチメートルの桜花抄、渡り鳥

「貴樹くんと一緒に、春もやってきてくれればいいのにって、思います。」と言いながら、明里は上空を飛ぶ鳥を見上げる。
この鳥を見て「待ち望む明里」を覚えていてほしい。

秒速5センチメートルの桜花抄、渡り鳥を見上げる明里

「雪」と同じく「鳥」も「秒速5センチメートル」の中で重要なモチーフであり、何度も登場する。
「鳥」=「人(貴樹、明里、花苗、その他)」である。

モチーフは、登場のたびに伝えたいメッセージが変化する。
第3話で登場する「雪」や「鳥」の描写を見ると、ひたすら悲しくなる。

雪が降る中、貴樹は栃木の明里の元へ向かうべく、電車に乗る。

秒速5センチメートルの桜花抄、電車待ちの列に並ぶ貴樹

お互いの断片を求めた小学生の日々

場面は貴樹と明里が小学生の頃へと移る。
ふたりは「アノマロカリス」「ハルキゲニア」「カンブリア紀」「オパビニア」などの耳慣れない言葉を交わしている。

秒速5センチメートルの桜花抄、ポテトで作った化石

この場面、映画ではふたりが「精神的によく似ていた」ことを表す。
小説によると、この会話により深い意味があったことが分かる。

今にして思えば、あの頃の僕たちが必死に知識を交換しあっていたのは、お互いに喪失の予感があったからなのかもしれないと思う。
(中略)
いつか大切な相手がいなくなってしまった時のために、相手の断片を必死で交換しあっていたのかもしれない。

小説「秒速5センチメートル」より

小学校のクラスメイト達は黒板に相合い傘を書いてふたりをからかう。
その場に動けないでいる明里の手を引いて、貴樹は駆け出す。

秒速5センチメートルの桜花抄、明里の手を引く貴樹

転校によって悲しみや不安に囚われがちだった貴樹。

だが、明里の手を握るこのときだけは明里がいれば「この世界は怖くない」と感じている。
「大人になればもっと力がついていくだろうし、ふたりの関係ももっと明瞭になっていく」と前向きに考えていた。

明里に強い口調を投げつけた貴樹を誰が責められようか

電車で栃木に向かう貴樹。
小学生の頃を振り返り、明里にぶつけてしまった言葉を後悔している。

秒速5センチメートルの桜花抄、電話ボックスにいる明里

電話ボックスで明里は、転校が決まったことを謝罪する。
それに対して、貴樹は「分かった、もういいよ」と感情的に答える。

この貴樹の行動を責める意見をよく目にする。
だが、小学生の貴樹にとっては仕方がないことだったと主張したい。

秒速5センチメートルの桜花抄、電話しながら座り込む貴樹

小説によると、ふたりは私立の中学校を受験し、合格していたようである。
小学生というできることが限られた年齢の中、今後も一緒にいるための準備をしていた。
転校で同年代よりも別れに敏感だったからこそ、である。

中学受験という子供ができる最大限の努力ですら、親の転勤という人生の理不尽な流れによってかき消されてしまう。
当時小学六年生だった貴樹の悔しさは並々ならぬものだったであろう。

貴樹の感情の発露は褒められたものではない。
しかし、貴樹のように失う悲しさを素直に感じることがあるだろうか。
残念だが、悔しいと思えるほど大切なものが私にはない気がする。

「遅れる電車」の長い時間の中、貴樹の心が描写される

一刻も早く明里の元へ向かいたい貴樹をよそに、雪によって電車は遅れていく。

貴樹が「押しボタン式の電車のドアを閉めない」ことに対して、苛立った地元民と思しき老人がドアを閉める。
また次の場面では「貴樹が自分でボタンを押してドアを閉める」ことを学んでいる。
電車内での時間の長さを感じられるように、胸が苦しくなる描写が丁寧に重ねられていく。

秒速5センチメートルの桜花抄、電車のドアを閉める老人
秒速5センチメートルの桜花抄、電車のドアを閉める貴樹

踏切を通り過ぎた時のドップラー効果は、ここで貴樹の心が折れた様子を表している。
(踏切通過の前後で音の高さが変化する)
「明里に会える」と期待する気持ちが不安へと塗り替えられた。

秒速5センチメートルにおいて、「踏切」も変化を表す重要なモチーフだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、踏切の明里が電車を照らす

明里のことを思い、駅のホームで蕎麦を食べることを我慢した貴樹。
「せめて温かい飲み物でも」と財布を取り出そうとした。

秒速5センチメートルの桜花抄、ホットの飲み物

すると、明里への大切な手紙が風に飛ばされてしまう。
貴樹には温かい飲み物を飲むことすら許されていない、罰を受けたかのような描写である。

秒速5センチメートルの桜花抄、飛ばされる明里への手紙

ちなみに、貴樹の手紙は便箋8枚もあったようで、その重さの手紙が本当に飛ばされるのかどうかは気になる。
(追記:当初は貴樹の長文に少し引いてしまった。しかし、私も便箋7枚、文字がぎちぎちの手紙を書いたことがあり他人事ではなかった。風速10m/sぐらいあれば手紙は飛ぶだろう。)

呆然とした貴樹が立っている後ろの自販機の表示はすべて青の「COLD」になっており、背景ですら貴樹をあざ笑っているようだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹の後ろ飲み物がコールド

激しい雪の中で停車を繰り返しつつ、明里の元へ電車は進む。
車内の蛍光灯は瞬く。
電車の連結部は揺れ動く。
窓や車内の配電盤は結露する。

単なる状況の描写に見えるかもしれない。
しかし、この場面を覚えているかどうかで第3話の印象が変わる。

秒速5センチメートルの桜花抄、またたく電車の灯り
秒速5センチメートルの桜花抄、電車のライトが眩しい
秒速5センチメートルの桜花抄、電車の連結部が揺れ動く
秒速5センチメートルの桜花抄、窓枠が結露する
秒速5センチメートルの桜花抄、電車の車内
秒速5センチメートルの桜花抄、配電盤が結露する

長い間停車した電車で、「時間」から逃れるように貴樹は腕時計を外す。

貴樹は明里に対して「どうか、もう、家に帰っていてくれればいいのに」と願う。
この貴樹の台詞からも、貴樹が明里のことだけを考えているのが伝わってくる。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹は耐えきれず時計を外す

岩舟駅で貴樹と明里は再会する

勢いを弱めた雪の中、長い時間をかけて電車はついに岩舟駅へ到着する。
貴樹と明里は駅の待合室で再会を果たす。

秒速5センチメートルの桜花抄、明里と貴樹は再開する

明里が作ったお弁当の具材は全て2つずつある。

貴樹は明里を思って駅で蕎麦を食べなかったし、明里も決してお弁当に手を付けなかった。
貴樹は駅で明里が待っていると信じていたし、明里も貴樹が来ることを疑わなかった。
離れていても、ふたりの気持ちが同じであったことが分かる。

秒速5センチメートルの桜花抄、明里はお弁当の具を2つずつ作った

岩舟駅の待合室を出たふたり。
ここでも、貴樹を追い越すように明里が先に駆け出す。
(冒頭1分、小学生の頃の場面と同じ)

秒速5センチメートルの桜花抄、明里はまた先を行く

雪が降る中、桜の木の下で貴樹と明里はキスをする。
一晩を畑の近くの納屋で過ごし、翌朝の電車で再びふたりは分かれる。
その際、明里は準備していた手紙を貴樹に渡さず、「貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」とだけ伝える。

「秒速5センチメートル」に残された謎

映画「秒速5センチメートル」には、いくつかの謎がある。
もっとも気になる疑問は、以下の3つだろう。

  • 明里はどうして貴樹に手紙を渡さなかった?
  • 雪が降る中、桜の木の下でのキスは何をもたらした?
  • 明里と貴樹、ふたりが書いた手紙の内容は?

この謎を紐解いていく。

最初の手がかりはこれまでの説明で使った画像の中にある。
1枚だけ違和感を感じた映像があった。

貴樹はクズなのか?

秒速5センチメートルの感想において、「貴樹はクズ」だと批判する意見がある。
「貴樹への批判」は、的を射ていないことが多い。
理由は以下の通り。

  • 映画に書かれた描写を見落としている
  • 作品が対象とする視聴者ではない
  • 「悲しすぎる」感情を解消するために、犯人探しをした
    (人間の習性)

心から思う本命がいるのに「花苗と付き合えばいい」と迷わず言えるのは、作品が想定した視聴者ではないだろう。

「秒速5センチメートル」級のきちんと説明がされている作品にいちゃもんを付けているとしたら、まともに観れる作品はほとんどないんじゃないか。
つまり、闇雲で理由が不明確な「貴樹批判」に耳を傾ける理由はない。
単なる炎上マーケティング。
(実際に貴樹批判で上位表示をしているニュースサイトを見ました)

私は「貴樹批判」を批判するし、貴樹の行動をおおむね認めている。
だが、1つだけ「貴樹が畜生だ」と思ったシーンがあった。
これが「違和感を感じた画像」である。

「明里の手を握らない」貴樹

岩船駅で貴樹と明里が再開したシーン。
明里は貴樹のコートを握り、涙をこぼす。

貴樹は、ポケットに手を突っ込んで突っ立っている。
作中でもっとも「貴樹がクズ」な場面は、ここだと思っている。
どうして、明里の手を握り返さないのか。

秒速5センチメートルの桜花抄、ポケットに手を入れたままの貴樹

このシーンにも、もちろん理由がある。
「貴樹がポケットに手を入れたまま」なのは、「明里と別れる」ことを決意していたからだ。

明里を見つけたとき、貴樹の表情は2度変化する。

1度目の表情は「純粋な嬉しさと驚き」によるものだ。

秒速5センチメートルの桜花抄、驚く貴樹

明里への理解が深い貴樹は、明里が待っていることを予想していた。
それでも、明里への気遣いから、どうか家に帰っていてほしいとも願っている。

「会いたい」「帰っていてほしい」が共存した状態である。

貴樹は「明里が待っている」ことが、自分の「都合のよい妄想に過ぎないのでは」と考えもしただろう。
「きっと明里はいる」と心の底で思っていても、明里を見つけた際は喜びと驚きが漏れた。

2度目の表情は「別れを伝える決意をした」様子である。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹は非情になろうとする

貴樹と明里は、お互いにとって自分が唯一無二の存在であることを知っている。
しかし、今後一緒にいられないことも感じ取っていた。

貴樹が「もう一度明里に会いたい」と願っていたのは、お互いの幸せのために明里に別れを伝えるためである。

明里が貴樹のことを忘れていてくれるなら、
待ち合わせに来ない酷いやつだと思って帰ってくれるなら、
貴樹は別れの言葉で明里を傷付けずに済むと考えた。

明里が待っていてくれたことは嬉しい。
再会できたからこそ、別れの言葉は伝えなければいけない。

だから、貴樹は明里の手を握り返さなかった。
ポケットに手を入れたまま、明里に自分から歩み寄ることを避けた。

しかし、話せば話すほど、明里が自分にとって大切な存在であることが分かってしまう。

ストーブの上のお湯が沸く様子は、相手を思う気持ちが再び熱を帯びていくことを表現する。

秒速5センチメートルの桜花抄、お湯が沸騰する

おにぎりを食べる貴樹は、「明里の大切さをもう1度知ってしまった」ことで涙を流す。

「これまで食べたものの中で一番おいしい」
これは 貴樹の本音であるが、ほんとうの涙の理由とは違う言葉でその場を誤魔化した。

秒速5センチメートルの桜花抄、おにぎりを食べて涙を流す貴樹

この後、ふたりは雪が降る桜の木の下、キスをする。

キスの場面を考える前に、ふたりが用意していた手紙の内容を明らかにする。

明里と貴樹、それぞれの手紙の内容は?

明里が貴樹へ向けた手紙は、映画の中で実は一部が写っている。

秒速5センチメートルの桜花抄、明里が手紙を書く様子

私は貴樹くんのことが好きです。
口では多分言えないけど、手紙には書いてしまいます。
初めて会ったときから、貴樹くんは、強くて優しい男の子でした。
転校してきたばかりの私を貴樹くんは守ってくれました。
貴樹くん、あなたはきっと大丈夫。

映画「秒速5センチメートル」より

小説の中で公開されている明里の手紙は、この約6倍の長さがある。
以下に手紙の内容を抜粋する。

  • 貴樹を待っている間に手紙を書いている
  • 小学生の頃、転校先に貴樹がいてくれてよかった
  • 転校なんてしたくなかったし、貴樹と一緒に大人になりたかった
  • 栃木と東京はまだしも、鹿児島は遠すぎる
  • 自信はないが、私達はひとりでやっていけるようにしなければならない
  • この先どんなに遠くに行っても、貴樹のことがずっと好き

全てを読みたい方は、ぜひ小説を手にとって欲しい。
上記の「明里の手紙」の抜粋は、20分くらい頭を抱えつつ、泣きながら打ち込んだ。
これは何度読んでも泣く。もうだめだ。

created by Rinker
¥515 (2024/04/21 08:28:06時点 Amazon調べ-詳細)

映画では明里が悔しさや悲しさを打ち明けるシーンは一度も登場しない。
小説の手紙によって、「明里がどれだけ悲しくて苦しかったのか」「辛くても前に進まなければと自分に言い聞かせたのか」を知ることができる。

明里本人が映画で気持ちを語らないことに対して、新海誠監督の徹底した姿勢を感じる。
安易な感動ではなく、作品に込めたメッセージを優先しているのだ。

貴樹の目線での「子供の頃の美しい恋の思い出」とするために、明里視点の情報は極端に少ない。

この明里の手紙の詳細が映画に含まれていれば、観客に与える感動は容易に増える。
そして、結婚する明里が悪く言われることもなかったであろう。
無情である。

貴樹と明里が書いた手紙の内容はほぼ同じ

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹が明里へ書いた手紙

これに対して、貴樹の手紙は以下のとおり。
あくまで抜粋だが、小説に書かれている内容はこれがほとんどである。
(小説にもすべては書かれていないようだ)

  • 大人になるということが、自分には分からない
  • 明里にまた会えたときに、恥ずかしくない大人になっていたい
  • 明里のことがずっと好きだった
  • さようなら

貴樹と明里が書いた手紙は、ふたりとも同じ意味を持つ。
「あなたのことがずっと好きだ(った)。でも、別れなくてはいけない。」という内容だ。
手紙からもふたりの類似性を意識させられる。

貴樹と明里は別れを決意しながら、最後にもう1度会おうとしていた。

雪の下でのキスによって、明里は手紙を渡さなかった

明里が用意した手紙を渡さなかったのは「雪の日、桜の木の下でのキス」が理由である。
岩船駅で再会したときに貴樹を思う気持ちが再び熱を帯び、キスの前後で明里の気持ちは変化した。

枯れた桜の木に、雪が降る。
雪を見て明里は「ねぇ、まるで雪みたいじゃない?」と言う。

雪が降る場面なので、本来は「桜みたい」と言うべきところだ。
冒頭の1分、小学生の頃のやりとりを思い出すように明里は「雪みたい」と口にした。

秒速5センチメートルの桜花抄、冬の桜が春の桜に見える

このとき初めて、貴樹は小学生の頃に明里が言った言葉が正しいと理解する。
桜は雪だった。
明里が正しいということは、かつて小学生の明里が感じていた「別れの予感」も的中するということだろう。

ここでも住宅や線路の上空を飛ぶ「鳥」が描写されている。
貴樹が言う「未だ巨大過ぎる人生、茫漠とした時間」が街並みを表し、「鳥」はその中を生きる人を示す。

秒速5センチメートルの桜花抄、渡り鳥

雪が降る中、桜の木の下で2人はキスをした。
ここでの貴樹の語りは難解だが、キスによって感じとったことは2つ。

  • 明里がどれだけ重要な存在なのか
  • この先、ふたりが一緒にはいられないこと

東京に帰る電車の中、モノローグの中で貴樹は言った。
「あのキスの前と後とでは、世界の何もかもが変わってしまったような気がしたからだ。」
貴樹が抱いた感情に対し、明里も全く同じことを思ったのではと考えている。
明里にも気持ちの変化が生まれた。

キスの場面。
明里は強ばっていた手を開く。
貴樹は手を握る。
ふたりは逆の動きをしている。

秒速5センチメートルの桜花抄、手を開く明里
秒速5センチメートルの桜花抄、手を握る貴樹

今後の行動を踏まえると、貴樹が手を握ったのは「明里の大切さを噛み締めた」からだろう。

明里が手を開いたのは何故か。
キスの直後、明里から貴樹に抱きついている。
これを踏まえると、ネガティブな感情ではないだろう。
「別れると決めた決意が緩んでしまった」と捉えている。

秒速5センチメートルの桜花抄、貴樹に抱きつく明里

明里は、貴樹の大切さを再確認したことで「別れを伝える手紙」を渡せなくなってしまった。
別れを確定させることをためらった。

貴樹がもし手紙をなくさなかったとしても、明里と同じように「別れを伝える手紙」は渡せなかったのではないだろうか。

「手紙が手元に残ったかどうか」が行動を変えた

明里は手紙を渡せず、別れを口にできない。
その中で「貴樹くんは、きっと、この先も大丈夫だと思う。絶対」とどうしても伝えたかった言葉を絞り出す。

このとき、明里の両手は鞄の外から渡さなかった手紙に触れている。

秒速5センチメートルの桜花抄、鞄の中の手紙に触れる明里

貴樹は電車のドア越しに「手紙書くよ、電話も」と明里へ伝える。
このやりとりがふたりにとって最後の会話となる。

秒速5センチメートルの桜花抄、電車のドア越しの貴樹と明里

秒速5センチメートルは、男女の恋愛に対する考え方の違いが議題に上がる。
「女は上書き保存・男はフォルダで保存」だ。
だが、今後のふたりの行動を左右したのは、男女の違いだけではない。

「手紙の有無」が重要な要素である。

明里は「別れを記した手紙」を持ち続けた。
これにより、大人になるまで別れを意識し続ける状況にあった。
貴樹は「別れを記した手紙」を無くしてしまった。
キスの後は、別れよりも明里の大切さを意識するようになった。

秒速5センチメートル、貴樹への手紙

第2話「コスモナウト」を解説する

舞台は貴樹の引越し先である鹿児島へ移る。
「コスモナウト」の意味は宇宙飛行士だ。

物語は貴樹に恋するサーフィンが趣味の少女「澄田花苗」の視点で進んでいく。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗と姉

「コスモナウト」の描写は、花苗を表す部分に関してはいたってシンプルである。
「桜花抄」「秒速5センチメートル」の複雑さに比べると拍子抜けするほどだ。

花苗は、以下の悩みを抱えている。

  • 貴樹への思い
  • 高校卒業後の進路
  • サーフィンで波に乗れないこと

進路の話を花苗と友人がした後、学校の上空を「鳥」が飛ぶ描写がある。
第1話「桜花抄」の鳥は貴樹を示したのに対し、ここでは「鳥=生徒(人)」であることが示されている。
「生徒は学校からいずれは巣立つ」のような表現で、第2話の内容への直接の意味はない。

秒速5センチメートルのコスモナウト、学校の上を飛ぶ鳥

花苗の姉は、学校の先生であり、憧れと嫉妬の対象でもある。

花苗の姉が原付の花苗を追い越して、車で学校へ向かう場面がある。
これは第1話の「貴樹より先を行く明里」と同じ描写だ。
花苗にとって姉は先を行く存在なのである。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗の先を行く姉

貴樹と花苗がふたりで帰るシーン。
貴樹が花苗の先を原付で走っている。
花苗にとって貴樹も先を行く存在であり、憧れの対象だった。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗の先を行く貴樹

貴樹が花苗を見送った際、花苗の元へ飼い犬「カブ」が駆け寄る。
しっぽをふるカブの様子を貴樹が目を細めて見つめるが、何の感情かは推し量れない。
貴樹のこのときの思いは「待ち人が戻ってくることに対する羨ましさ」ではなかろうか。

秒速5センチメートルのコスモナウト、犬のカブを見て複雑そうな貴樹

花苗は、貴樹も自分と同じであることを知っていく

秒速5センチメートルのコスモナウト、うまくいかない花苗

物語は進み、未来に確信を持てない花苗に対して、三重苦が押し寄せる。

  • 決められない進路、生徒指導室へ呼び出しを受ける
  • サーフィンも全くうまくいかない
  • 一緒に帰ろうと貴樹の帰りを待つが、現れない

諦めてひとりで帰った花苗は、帰り道で貴樹のカブが停車しているのを見つける。
携帯電話を操作していた貴樹の元へ駆け寄る。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗と貴樹

ふたりは卒業後の進路について会話する。
「私、明日のことも、よくわからないのよね」
「たぶん、誰だってそうだよ」
「嘘!遠野くんも?」
「もちろん」
「全然迷いなんてないように見える」
「まさか、迷ってばかりなんだ、できることをなんとかやってるだけ、余裕ないんだ」
「そっか、そうなんだ」

この会話をきっかけに、花苗は吹っ切れる。
貴樹が自分と同じ思いを抱えて生きていることに気付く。
どうにもできない将来のことで悩むのをやめ、今、精一杯頑張ることを決意する。

なぜか「顔が描かれない」貴樹

第2話「コスモナウト」では、貴樹の顔のパーツが描かれない場面が登場する。
(目、鼻、口がない)

  • 花苗が隠れて待っている、単車置き場に来た貴樹
  • 転校して挨拶する場面の横顔の貴樹
  • 体育館の外でボールを持って涼む貴樹
  • 花苗が飲み物を買う間、原付きに腰掛けて携帯を操作する貴樹
  • 花苗の告白の当日に、単車置き場に来た貴樹
秒速5センチメートルのコスモナウト、顔が書かれない貴樹
秒速5センチメートルのコスモナウト、顔が書かれない貴樹
秒速5センチメートルのコスモナウト、顔が書かれない貴樹
秒速5センチメートルのコスモナウト、顔が書かれない貴樹

カメラの視点が貴樹から離れた位置にあり、たまたま顔を描いていないのかもしれない。
だが、貴樹以外の並んでいる人物は顔が描かれていることもある。
これは回数・頻度を考えると偶然ではないだろう。

貴樹の顔が描かれていない理由は、花苗が貴樹のことを「ちゃんと見ていなかった」ことの証明である。

彼が真剣に弓を引いている姿は、それはそれは素敵なのだ。
とはいえ近くでずっと見つめることは恥ずかしくてできないから、今みたいに百メートルくらい離れた場所からしか練習姿は見たことはないけれど。
そのうえ、盗み見だけれど。

小説「秒速5センチメートル」より

最初から、遠野くんは他の男の子たちとは、どこかすこし違っていた。
(中略)
黒板の前にまっすぐに立った見知らぬ男の子はぜんぜん気後れも緊張もしていないように見えて、端正な顔に穏やかな微笑を浮かべていた。
(中略)
どうしてこんなふうに、まるで目の前に誰もいないかのように緊張もせず、くっきりと喋ることができるのだろう。

小説「秒速5センチメートル」より

花苗は自身が抱いた恋愛感情によって、実際の貴樹とは異なる理想を重ねて見ていた。
これにより貴樹のことを理解できるほど、花苗は心の内に踏み入ることもできていなかった。
それが「顔のない貴樹」の意味するところだ。

花苗が夜の草原で携帯電話を見つめる貴樹を見つけたシーンでは、貴樹の顔は描かれている。
このとき初めて花苗は、貴樹の内面に触れることができたのである。

秒速5センチメートルのコスモナウト、携帯電話を操作する貴樹

宇宙へ飛ぶロケットは、努力を続けるふたりを肯定する

草原での会話を終え帰宅する途中、花苗と貴樹は道路を封鎖し移動するNASDA(宇宙開発事業団)のトレーラーに遭遇する。
トレーラーはロケットを運搬し、「時速5キロ」で打ち上げ場へと向かう。

封鎖された道路で花苗と貴樹が待つ様子は、これまでに登場したモチーフである「踏切」と同じ表現であり、心情の変化を示す。

秒速5センチメートルのコスモナウト、ロケットが運ばれている

貴樹の周囲とは違う「大人びた様子」に、花苗は憧れていた。
だが、宇宙へ飛び立つロケットを運ぶトレーラーを前にすると、ふたりは同じちっぽけな存在である。

答えの分からない何かに手を伸ばして努力するふたりを、「太陽系のずっと奥へ向かうロケット」が勇気付けてくれている。

秒速5センチメートルのコスモナウト、大きいロケットの前にいる貴樹と花苗

花苗のおっぱいがでかくなった

雨が上がり風が吹く草原で、花苗は気持ちを新たにする。

サーフィンの準備をする花苗へ、姉は進路について質問する。
花苗は答える。
「やっぱりまだわかんないけど、でもいいの、決めたの。ひとつづつできることからやるの。」

秒速5センチメートルのコスモナウト、海を前にする花苗

花苗にとって、進路のことは分からない。
しかし、分からないことを認めることができた。
分かるのは、自分がサーフィンと貴樹のことが好きだということである。
迷いを断ち切った花苗は、半年ぶりに波に立つことができた。

このときの花苗は、おっぱいが当初より大きくなっている。
胸の大きさは花苗のコンプレックスだった。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗の表情

サーフィン問題、遠野くん問題、進路問題、これが目下の三大課題なわけだけれど、もちろん問題はこの三つだけではない。
(中略)
それからいまいち成長してくれない胸とか(お姉ちゃんの胸はなぜかでかい、同じDNAなのになんでだ)、壊滅的な数学の成績とか、私服のセンスのなさとか、あまりにも健康すぎてぜんぜん風邪をひけないとか(可愛げが足りない気がする)、その他いろいろ。

小説「秒速5センチメートル」より

花苗にとって美人の姉は憧れであり、自分が姉のようになるというイメージは持っていなかった。
夏を越えて秋が近づく中、花苗は心も身体も成長し大人に近付いた。

おっさんの変態目線はさておき、コウモナウトの後半では花苗が明らかに色っぽく描写されている。

秒速5センチメートルのコスモナウト、色っぽくなった花苗

「花苗に告白させない貴樹」の胸の内は

秒速5センチメートルのコスモナウト、告白を決意した花苗

花苗は、サーフィンで波に乗れたら、貴樹に告白しようと決めていた。
いつもとは違う決意を胸に単車置き場の近くで貴樹を待ち、一緒に帰宅する。

コンビニを出て歩く貴樹のシャツを掴み、花苗は告白しようとする。
が、その言葉が出ない。

秒速5センチメートルのコスモナウト、貴樹の服を掴む花苗

小説の中で、花苗の告白を貴樹が拒絶した描写がある。

「ーどうしたの?」
私の中のずっと深い場所が、もう一度ぞくっと震えた。
ただただ静かで、優しくて、冷たい声。
思わず彼の顔をじっと見つめてしまう。
にこりともしていない顔。
ものすごく強い意志に満ちた、静かな目。
結局、何も言えるわけがなかった。

何も言うなという、強い拒絶だった。

小説「秒速5センチメートル」より引用
秒速5センチメートルのコスモナウト、どうしたの?と振り返る貴樹

映画の中では「強い拒絶」とまでは分かりにくいが、合間に挟まれる貴樹の表情は複雑で、その声は冷たい。

しかし、「花苗のカブのエンジンがかからない」ときや「花苗が泣いてしまった」ときの貴樹はいつも通りに優しい。

秒速5センチメートルのコスモナウト、花苗に優しくする貴樹

このとき「貴樹が抱えていた思い」は、何なのか。
この部分に関しては答えに繋がる描写が少なく、想像でしか考察することができない。

貴樹は、花苗が自分と同じ生き方をしていると感じ取ったのではと思っている。
「好きな人の元へ近付こうと、努力して先へ進む」姿のことだ。
花苗の姿に懸命な努力を感じ、無意識に自分を重ねた。

秒速5センチメートルのコスモナウト、複雑な表情の貴樹

残酷な話。
「告白が成功するかどうか」「告白をすべきかどうか」に対して、サーフィンで波に乗れたかどうかは無関係である。
貴樹にとって、花苗の努力はまったくの他人事だ。
貴樹は最初から花苗の思いに答えるつもりはない。

「自身の努力が思い人にとって無関係かもしれない」ことは、貴樹も同じである。
貴樹が必死にもがいたとしても、明里にその思いは届かないかもしれない。

自分と同じ生き方の花苗。
報われない努力と知らずに頑張っているのを目の当たりにして、貴樹は自身の境遇と同じであることを感じて苛立ってしまったのではないだろうか。

空へ打ち上げられたロケット、似ているが行き先の違うふたり

告白できず泣いてしまった花苗に対して、貴樹は言葉を繋ごうとする。
その際、轟音と白い煙の塔とともにロケットが打ち上げられる。
花苗と貴樹は揃ってロケットが飛び立つ様を見送る。

秒速5センチメートルのコスモナウト、ロケットを見上げる貴樹と花苗

道路を横切ったNASDAのトレーラーと同じく、遥か彼方へ打ち上がったロケットは「ただ闇雲に空に手を伸ばす」ように生きる2人の心を励ましてくれた。

花苗は貴樹が「同じ空を見ながら、別々のものを見ている」ことに気が付いてしまう。
貴樹が自分を見てなんかいないのだと、花苗は知ってしまった。

秒速5センチメートルのコスモナウト、遅れる花苗に気が付かない貴樹

「顔のない貴樹」で書いた通り、相手(貴樹)を見ていないのは花苗も同じである。
告白の日の単車置き場においても、貴樹の顔は描かれていない。

秒速5センチメートルのコスモナウト、顔が見えない貴樹

ロケットが打ち上がって白い煙の塔が出来た際、貴樹がいる側が影になっている。
この部分は映像だけ見ていると「偶然ではないか」とも思える。
しかし、小説においてこの付近に光と影の描写が多い。

秒速5センチメートルのコスモナウト、ロケットの煙で影ができる

単車置き場の奥、いつもの校舎裏に私は立っている。
日差しはだいぶ西に傾いてきていて、校舎が落とす長い影が地面を光と影にぱっきりと二分している。
私がいる場所はその境界、ぎりぎり影の中だ。

小説「秒速5センチメートル」より引用

コンビニの外も、世界は夕日によって光と影に塗り分けられていた。
自動ドアから出たところは光の中。
コンビニの角を曲がって、単車が置いてある小さな駐車場は影の中だ。
紙パックを片手に影の世界に入っていく遠野くんの背中を私は見ている。

小説「秒速5センチメートル」より引用

それは打ち上げられたロケットだった。
(中略)
巨大な煙の塔に夕日が遮られ、空が光と影に大きく塗り分けられてゆく。

小説「秒速5センチメートル」より引用

花苗は貴樹に告白できたわけではない。
しかし、貴樹が抱える心情を理解したことで、自分の思いが行き着く先を見届けることができた。
決して納得できたわけではない。
やりきれない感情に自宅の布団で涙を流す。

「この先は前に進むことができる」ことを「花苗が光の当たる側に立つ」描写が示している。

秒速5センチメートルのコスモナウト、明里と貴樹はロケットの煙を見る

明里に対する自分の気持ちに区切りを付けられなかった貴樹は影の側に立っている。
これから先の貴樹の明るいとは言えない未来を示しているのかもしれない。

「秒速5センチメートル」という作品は、貴樹の一途な姿勢を否定していない。
この場面では「自分と思い人の気持ちに最後まで向き合った花苗」を祝福している描写だと考えている。
物語を通じて、花苗は貴樹よりも大人になった。

「コスモナウト」は花苗のための物語であり、「学生時代に一途な恋心を抱いた女性」をペルソナにしている。
花苗と貴樹は「好きな人に近付くため、努力を続ける」姿勢が似ている。
しかし、貴樹は男性の考え方に近い。
「両思い」と「片思い」という違う性質を持つことで、花苗は貴樹とは異なる魅力を持っている。

第3話「秒速5センチメートル」を解説する

秒速5センチメートル、パソコンの画面を見る貴樹

第3話「秒速5センチメートル」は、貴樹が東京でプログラマーとして働くシーンから始まる。
仕事に没頭する日々であったが、気付けばその目的を見失っていた。
当時付き合っていた水野理紗と別れ、貴樹は仕事を辞める。
そして、踏切で明里とすれ違い、物語は終わる。

第3話「秒速5センチメートル」では、これまでのエピソードや伏線が回収されていく。

私が映画「秒速5センチメートル」を初めて見終わった際、とても悲しい気持ちになったのを覚えている。
「鬱エンド」とも言われる最終話「秒速5センチメートル」で描かれている内容を解説する。

大人になった貴樹

第3話「秒速5センチメートル」の冒頭で、満開の桜を見上げ、ひとり微笑む貴樹。
美しい桜を見て明里との思い出を振り返っている良いシーンに見える。

秒速5センチメートル、満開の桜
秒速5センチメートル、満開の桜を見て笑顔の貴樹

だが、この場面は「貴樹が大人になってしまった」ことを表す。

明里と一緒に「満開の桜」ではなく「散る花びら」を眺めた貴樹はもういない。
転校によって別れに敏感だった貴樹も、幼少期の多感さを失ってしまった。

小説では、明里と会話していた「アノマロカリス」「ハルキゲニア」「カンブリア紀」「オパビニア」などかつて必要だと思っていた知識のほとんどを忘れてしまったとも書かれている。

当時の彼女である「水野理紗」から貴樹の元へ電話がかかってくる。
しかし、貴樹はビルの前に立ち尽くし、着信に応じない。

秒速5センチメートル、着信に出ない貴樹

水野理紗が電話を切った後、窓を観ると「雪」が降り始めている。

秒速5センチメートル、窓の外を見つめる水野理紗

貴樹も、水野理紗も、降り注ぐ雪を見つめる。
ふたりにとって別れが悲しいことには違いないが、言葉や態度が乱れるような様子はない。
「雪=別れ・悲しみ」を自然なものとして受け入れている。

東京での生活や仕事に身をすり減らしていく貴樹。
ベランダで煙草を吸いながら高層ビルを眺める場面がある。
小説によると貴樹は高層ビルに美しさを感じていた。

秒速5センチメートル、ビルに昇る煙

煙草から昇る煙は、かつてロケットに憧れた貴樹のくすぶった思いを示している。

コンビニで貴樹が深宇宙探査機の記事を立ち読みし、本棚に戻すシーン。
鹿児島に住んでいたころの貴樹は同じ雑誌を部屋で読んでいた。
しばらくこの本を読んでいなかったようで、貴樹に幼少期ほどの熱意は感じられない。

秒速5センチメートル、宇宙に関連する雑誌を手に取る貴樹

大人になった明里

別れを示す「雪」を共通の舞台装置として、場面は貴樹から明里の元へと移る。
結婚が決まった明里は、父親の実家に近い岩船駅を出発する

大丈夫よ。
来月には式で会うんだから、そんなに心配しないで。
寒いからもう戻りなよ。

映画「秒速5センチメートル」より
秒速5センチメートル、気丈に振る舞う明里

子供の頃はか弱かった明里が、成長して両親に「心配をかけないように」という気丈な態度を取っている。
だが、貴樹と対比となる描写を踏まえると実際は「悲しみに慣れただけ」である。

満開の桜に微笑んだ貴樹と同じく、明里もふつうの大人になってしまった。

子供の頃のようには、心は動かない

岩船駅を出発した電車の中、窓の外を眺める明里。
左手の薬指には婚約指輪が呪いのように光っている。

「昨夜、昔の夢を見た」と明里は語る。
その表情は「疲れた・うんざりした」様子である。
窓のサッシの影は、電車が動いていても明里の顔に執拗に重なり続ける。

秒速5センチメートル、電車で気だるげな明里

夢を観た理由を、明里は「貴樹への手紙」を見つけたからだと述べている。

手紙は「ビー玉」「万華鏡」「カセットテープ」「髪留め」「小学生向けの手帳」と共に缶箱に入っていた。
明里の中で「貴樹への手紙」は子供の頃の思い出のひとつになってしまったことが分かる。

秒速5センチメートル、子供の頃の物が詰まった缶

第1話「桜花抄」のシーンを振り返る。
明里は空を見上げ、渡り鳥のように貴樹が自分の元へ来てくれれば良いのにと願った。

秒速5センチメートルの桜花抄、渡り鳥を見上げる明里

中学生の貴樹は明里の元へ行くため、長い時間をかけて移動した。
電車の窓の外は激しい雪が降っていた。
蛍光灯は瞬いて車内をオレンジ色に染める。
電車の座席や連結部は揺れ、窓や配電盤は車内の熱によって結露した。

秒速5センチメートルの桜花抄、またたく電車の灯り
秒速5センチメートルの桜花抄、電車のライトが眩しい
秒速5センチメートルの桜花抄、電車の連結部が揺れ動く
秒速5センチメートルの桜花抄、窓枠が結露する
秒速5センチメートルの桜花抄、電車の車内
秒速5センチメートルの桜花抄、配電盤が結露する

第3話「秒速5センチメートル」ではどうか。
大人になった明里の目に映る田舎の町並みは灰色である。
降る雪もごく自然でその存在を意識させない。
電車の連結部は静かで、他に乗客のいない車内は全く揺れていない。
渡り鳥が空を飛んでいるが、それを明里が気に留める様子もない。

秒速5センチメートル、平穏な電車の中
秒速5センチメートル、揺れない連結部
秒速5センチメートル、落ち着いた田舎の風景
秒速5センチメートル、静まり返った電車内

背景が表現するように、大人になった明里は子供の頃のように心が動くことはない。

秒速5センチメートル、気だるげな明里

第1話で中学生だった貴樹にとって「雪の中、明里が待つ岩船駅へ移動した」ことは辛い思い出だろう。
だが、大人の明里が見る冷めた風景と比べて、貴樹を取り囲む背景には明らかな熱量がある。
電車をオレンジ色に染め、結露させていたのは「貴樹の明里への思い」なのだろう。

秒速5センチメートル、明里を思う貴樹

第3話の描写によって、第1話の電車の風景の意味が変化している。
「大人になってしまう悲しさ」を描くことで、過去の「明里を思う貴樹」の姿はより美しくなる。

貴樹も明里も大人になり、悲しみを受け入れていた。

「大人になる」というのは、悲しみに慣れること

ただ生活をしているだけで、悲しさはそこここに積もる。
日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも

映画「秒速5センチメートル」より引用
秒速5センチメートル、埃が積もる洗面台

上記は、東京で仕事に明け暮れ、目的を失った貴樹のセリフである。
このシーンでは散らかった部屋が映されているため、「積もる」に対して「部屋の埃(ほこり)」を連想するかもしれない。

だが、この「悲しさが積もる」という表現は、作中に何度も登場する「雪」にかかっている。

秒速5センチメートルにおいて、「雪」は「悲しみ・別れ」を示す。

秒速5センチメートル、タイトルコール

第3話の途中、主題歌「One more time one more chance」と共に「秒速5センチメートル」のタイトルが表示される。
ここでは、背景に雪が降っている。

「秒速5センチメートル」は「桜」をテーマとした映画のように思うが、むしろ登場頻度が多いのは「雪」の方である。
この作品は「別れ・悲しみ」を主題とした作品であるからだ。

雪が降る中、貴樹が東京の街を歩く。
この際、街を歩く人は誰一人として傘を指していない。
そもそも、傘を持ってすらいない。

東京で雪が降るのは珍しいことで、天気予報によって知らされているはずなのに。

秒速5センチメートル、誰も傘を差していない

これは街を歩く大人たちが「雪=別れ・悲しみに慣れてしまった」ことを示している。
街に降りそそぐ雪に対して、子供のように過剰反応することはない。

作品の冒頭で桜の花びらに対して傘を差していたのは、小学生の明里だった。

秒速5センチメートル、傘を差す明里

秒速5センチメートルにおいて、登場人物の顔が急に変化することがある。
第1話「桜花抄」の貴樹が分かりやすい。
ほぼ大人の顔を見せたり、子供のように無邪気になったり。

「明里との別れを決意し、理不尽を諦めようとした」ときに大人の顔、「純粋に明里の大切さを感じる、一緒にいる喜びを味わう」ときに子供の顔を描いている。

ラストシーン、踏切越しの貴樹と明里に込められた意図

秒速5センチメートル、踏切ですれ違う明里と貴樹

物語のラストシーン、踏切で貴樹と明里はすれ違う。
電車の通過で踏切が落ちる中、ふたりは立ち止まって後ろを振り返る。

通り過ぎる電車によって、お互いの姿を見ることはできない。

行き先の違う2台の電車が通過する。
これは貴樹と明里が別々の道を歩むことを表している。

秒速5センチメートル、踏切には2台の電車が通り過ぎる

電車が通り過ぎた後、明里はすでにそこにはいない。
これまでもそうだったように「明里は貴樹の先を行く存在」なのである。

誰もいない風景に対し貴樹は一瞬残念そうな顔をする。
しかし、元の行き先へ振り返って笑顔で歩きだす。

秒速5センチメートル、残念そうな貴樹
  • 踏切は心の変化のモチーフであった
  • 振り返った明里が、貴樹よりも先にその場を去った

この2点を踏まえると、貴樹もきっと先へ進めるのだろう。
「秒速5センチメートル」の最後は明るい幕引きとなっている。

小説にも「貴樹がこの先どうなるのか」は残念ながら描かれてはいない。

「なぜ鬱と言われるのか」→「誰も幸せそうではない」から

秒速5センチメートル、暗い部屋でテレビを観る貴樹

秒速5センチメートルの結末は、前向きなメッセージだった。
しかし、この作品はよく「鬱」と言われる。

「鬱」という言葉の定義を話し出すとややこしいが、つまりは「見終わった後に悲しくなる」ということだ。
私も悲しかった。
この点は新海誠監督も認めているようである。

新海は本作のアニメ映画について、登場人物たちを美しい風景の中に置くことで「あなたも美しさの一部です」と肯定することにより誰かが励まされるのではないかと思っていた。
しかし、意図と逆に「ひたすら悲しかった」「ショックで座席を立てなかった」という感想がすごく多く、その反省から第3話のラストを補完するかたちで『小説・秒速5センチメートル』 を書いたと述べている。

Wikipedia「秒速5センチメートル」より引用

作品を表現する手段として、光を強調するために闇を深く描くことがある。
この作品は、「子供の頃の恋の思い出」を美しく描くことがテーマだ。
対比としての「大人になり、人々が悲しみに慣れてしまった様子」があまりに辛く鮮明だった。

貴樹の思いは報われなかった。
貴樹と付き合っていた水野理紗も、幸せそうではなかった。

よく「明里だけ幸せになりやがって」という感想を目にする。
この主張は「明里のせいにする」という逃げがある分だけ、それほど傷つかずに済んでいるのかもしれない。
結婚が決まった明里の表情を見ても、「明里は幸せそうだ」とは思えない。

秒速5センチメートル、虚ろな顔の明里

大人になった登場人物達は、誰一人、心から幸せだと言える様子ではなかった。

加えて、作中の描写を拾っていくと「貴樹と明里が幸せになる未来があったのでは」と想像してしまう。

主題歌「One more time one more chance」が流れるシーンを振り返ってみる。
鹿児島の家で郵便受けを開けて、明里からの手紙を楽しみに待つ貴樹。
同じく郵便受けに笑顔で駆け寄る明里がリンクする。
少なくとも高校の途中までは、ふたりは思い合っていたことが示されている。

秒速5センチメートル、ポストに駆け寄る貴樹
秒速5センチメートル、ポストに駆け寄る明里

高校時代と思しき場面、明里はボストンバッグを持つ男子高校生と一緒に歩いている。

貴樹と花苗がそうであったように「明里はこの男子高校生とは付き合っていない」のでは、とつい考えてしまう。
一緒に歩いているのに、明里も貴樹も道端にあるポストの方ばかり見ている。

秒速5センチメートル、ポストを見る明里
秒速5センチメートル、ポストを見る貴樹

大人になり、花びらを受け止める明里。
花びらが雪であるなら、「貴樹との思い出や別れを噛み締めている」とも受け取れる。
明里は子供の頃の気持ちを忘れていない。

またもや、花びらを受け止める貴樹とその姿がリンクする。

秒速5センチメートル、花びらを受け止める明里
秒速5センチメートル、花びらを受け止める貴樹

手紙にあったとおり、明里は「貴樹のことをずっと好き」だったのだろう。
明里の心情は伏せられているが、作品を通して貴樹と明里の気持ちは良く似ていた。

第2話「コスモナウト」で描かれる描写は、貴樹と明里のふたりだけが入ることのできる空想の世界なのだろう。
「相手の断片を必死で交換しあった」からこそ、離れていても互いを共有することができた。
(「貴樹の妄想」と言われればそれまでだが)

中央で分断される惑星が、この世界の終わりを暗示する。

秒速5センチメートル、夢の中の世界の明里と貴樹

貴樹は「出す宛のないメール」にこの空想の世界の内容を記録していた。

「明里のいない世界」に少しづつ馴染んでいけるように、自転車の補助輪のように、このメールを打つことが貴樹には必要だった。

秒速5センチメートル、貴樹が打っていたメール

ふたりの手紙のやり取りが途絶えてしまったのは、あくまで些細な偶然が原因なのではないだろうか。

「何かが少しでも違っていれば、ふたりはこんな結末にはならなかった」ことを思うと、ひたすら悲しい。

小説と私の考察は解釈が異なる

小説「秒速5センチメートル」では、登場人物の心理描写がより詳細に書かれている。
「大人になった明里の貴樹への思い」「貴樹が水野理紗との別れを悲しむ様子」など。

しかし、小説に書かれている内容が映画の描写と一致しない部分がある。
私は「小説ではなく映画の内容を優先」して考察を書いた。

あらためて小説版「秒速5センチメートル」が書かれた背景を確認する。

新海は本作のアニメ映画について、登場人物たちを美しい風景の中に置くことで「あなたも美しさの一部です」と肯定することにより誰かが励まされるのではないかと思っていた。
しかし、意図と逆に「ひたすら悲しかった」「ショックで座席を立てなかった」という感想がすごく多く、その反省から第3話のラストを補完するかたちで『小説・秒速5センチメートル』 を書いたと述べている。

Wikipedia「秒速5センチメートル」より引用

この内容を踏まえると、貴樹や明里の心理描写を前向きなものとして書いているのは「小説版の後付け」だと私は捉えている。
「ひたすら悲しくなる」のを避けるために、小説で変更・追加が行われた、ということだ。

(ここまでやっておいて、「意図とは逆に」って何のジョークでしょうか)

created by Rinker
¥515 (2024/04/21 08:28:06時点 Amazon調べ-詳細)

映画と小説で矛盾する表現があった場合、作品本来の意図に忠実(オブラートに包まない)なのは映画の方であると考える。

終わりに:秒速5センチメートルは「視聴者に意図が伝わる傑作」

「秒速5センチメートル」は、理解するのが難しい作品だと思う。

そこに込められたメッセージを一度の視聴で読み解くのは難しい。
私も初めて観たときに生まれた疑問がずっと残り、1〜2年に1度はこの作品を見返していた。

「秒速5センチメートル」は難解だが、「初見の人にも作品の魅力や意図が伝わる傑作」である。
「解説がないと魅力が分からない」作り手のエゴによる作品とは明らかに違う。
「鬱」「視聴後、座席から立ち上がれなかった」と言われるほど、観る人を悲しみの底へ叩き込んだ。

秒速5センチメートルは、作品を観て「悲しみを受け止めた人たち」に向けて作られた作品である。

考察から漏れたカットもとにかく良い

今回の考察は、私の想像が及ぶ範囲のシーンを繋いで書いた。
「解説として理屈がつながる部分」だけを切り取っている。

だが、実際に作品を観ると理屈抜きで映像の美しさに心を奪われる場面が多い。

秒速5センチメートル、吹っ切れた花苗

どこまで深い意味が込められているかは、製作者にしか分からない。
絵の美しさやインパクト・魅力を重視して挿入されているカットもあるだろう。

「小難しいことは抜きで感覚重視で観る」のも、この作品を楽しむには重要である。
(後から意味に気が付くかもしれないが)
何度観ても新しい魅力に気付く名作だ。

U-NEXTでは、31日間無料で「秒速5センチメートル」が視聴可能。
作品を見直したい人にはおすすめである。

カエル

この記事は以上です!
読んで頂き、有難うございました!
記事が気に入ったらシェアをお願いします!

秒速5センチメートル

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

下記のボタンで記事を貼れます!
  • URLをコピーしました!
この記事でわかること