私は仕事の都合で石川県の七尾市に住んでいたことがある。
「車の運転マナーが悪い」「接客する店員が敬語を使わない」に出くわすことが多く、この地域に長く住むのはしんどいと思ってしまった。
車の運転マナーに関しては、北陸3県に共通して悪い印象がある。
この記事では、「私が石川県に住んでいて感じたこと」と「それに対する考察や学び」をまとめる。
今回の記事は、シンプルに地域の批判である。
ブログに悪口を書くのは、デメリットしかないだろう。
「悪口をわざわざブログの記事で書いちゃうんだ…」
「こういう人を信頼はできないな…」
と感じる人は多いはずだ。
だが、私の性格上、嫌な思いをしたことをずっと我慢していることは無理だと思われる。
中途半端な形で言葉にしてひんしゅくを買うよりは、誤解のないよう正確に文章に残しておこうと思いこの記事を書いた。
石川県内に住む仲が良い友人がこの記事を読んで気を悪くしないか、心配しながら執筆した。
しかし、むしろ好意的な意見を頂いた。
運転がおかしい
北陸で運転していると、センターラインを頻繁にオーバーして対向車線にはみ出している車を見かける。
私は通勤で片道20分運転するが、ほぼ毎日センターラインオーバーの車に出会う。
(多い日は3台くらい)
その度に「危ない!」と感じるので、結構なストレスになっていた。
写真は同乗していた後輩に撮影してもらった。
ちなみにこの車は、完全に対向車線を走っていた瞬間もある。
(左のタイヤがセンターラインを越えた)
危険運転を行っているのは、以下のタイプと想定している。
(「やべぇ運転だな…」と思ったら、運転手の年齢や人相を観察して統計を取るようにしている。)
- ヤンキー的な思想を持った人(運転のときだけオラつく人を含む)
- 運転に必要な能力がない人(痴呆老人、注意散漫なおばさん、態度の悪いギリ健)
北陸はこのヤンキー気質と痴呆老人の割合が他の地域に比べて多い。
対向車がいないときは、センターラインをオーバーして走るのが普通と考えているようだ。
普段は少しぐらいの車線オーバーなら、私は左に避けて関わらないようにする。
(タイヤ1~2個分は良くある話)
だが、車体の1/3がオーバーしていたり、コーナーで車線オーバーの車が突っ込んでくるときは、「これはさすがにまずい!」と思って、クラクションを鳴らす。
だが、ヤンキーや痴呆老人は「ミスを認めたくない」「オラオラしていたい」ため、クラクションを鳴らされるとむしろ意地になって車線オーバーの状態を保とうとする。
センターラインをオーバーすることを対向車線の車への威嚇のように使っているのも、よく見かける。
(ふつうに運転していたら、線を踏むことも少ないと思うのだが)
命の危険を感じることが多いため、北陸には長く住みたくない。
車に関するトラブルの発生頻度が多すぎる
その他、私が石川県七尾市で出会った車の運転に関する事例をまとめる。
- 職場の建物に痴呆老人が運転する車が突っ込んだ(2回あった)
- 電柱に飲酒運転と思われる車が突っ込んだ(通報は翌日で、飲酒運転を逃れた)
- 老婆が運転するセンターラインオーバーの車に私の同期の車が衝突した
- 飲酒運転の車が衝突し、住んでいるマンションの門が破壊された
- 出張中にレンタカーで後ろから追突された
- 70代男性が運転する車が海に落ちた(NEW)
こういった事故が身の回りでかなりの頻度で発生している。
私が勤務していた会社は全国にいくつか事業所があったが、この頻度で車に関するトラブルが起きている地域は他にない。
金沢でのライブイベントに参加するために遠征していた友人が「滞在していた数日間で酷い運転をする車があまりに多く、驚いた」と言っていた。
七尾市を舞台にした「君は放課後インソムニア」という作品がある。
街中をキャラクターをラッピングしたバスが市内を走っていたが、この車両もかなりマナーが悪かった。
ネガティブキャンペーンである。
意外なのが、「信号のない横断歩道に歩行者がいると、停車する車」は多い。
普段のマナーの悪さを見ていると、「そこは止まるんかい!」と突っ込みたくなる。
明文化されているルールは守るのかもしれない。
店員が敬語を使わない
北陸では「店員が敬語を使わない」ケースが多い。
悪気はないが、意図的に敬語を使っていないと感じることがある。
私は石川県に引っ越した初日に「マンションの管理会社」と「郵便局」に行った。
そのどちらも窓口で対応した人が敬語を使わない方だった。
「えらいところに来てしまったな…地元に帰りたい…」と思った記憶がある。
当時の私は経験が乏しかったため「西日本」「関西」がおかしいのかと仮説を立てた。
しかし、問題があったのは人生の中で「北陸」だけだった。
「店員が敬語を使わない」と書いたが、正しくは「店員」も「客」も誰も敬語を使わない。
例として、敬語を使わずにクレームを入れた客に、店員が敬語を使わずに応対する場面は良く見かける。
その結果、店員が「敬語を使っても態度は悪い」状態になりがちである。
北陸では、ホスピタリティの優れた一部の施設・店を除き、接客に期待しない方がよい。
敬語を使わない文化と人種
「敬語を使わない人」の内訳は、以下のパターン。
- 「方言・訛り」で育った結果、本当に敬語を使えない
- 「上から目線」でマウントを取ることにより、自尊心を満たしたい
子供を含め、地域の方と接していて「方言が敬語を想定していない」「敬語を使う文化がそもそも存在しない」と感じている。
敬語という概念がない人に関しては、もはやしょうがないと思っている。
この他、周りから尊敬されない人が、どうにかして敬って欲しくて「上から目線」の状態を取るためにあえて敬語を使わないパターンもある。
相手に対して、「お前、何しとるん?」という「親分・兄貴・先輩」のポジションを取りたがる人が非常に多い。
「敬語を使えない高圧的な人」は、会話の相手として適切でない。
「無視する」か「自分から離れる」ように私は気を付けている。
普段から周囲に嫌われている人は、多少冷たい態度を取られても気が付かない。
嫌われ者を無視しても、問題は起きない。
「方言・訛り」自体に良し・悪しはない
私は北陸に住んでいて嫌な思いをすることが多いため、北陸の方言も嫌いになっている。
だが、方言そのものに「良し・悪し」や「攻撃的」「乱暴」に聞こえるニュアンスはないと思う。
どの地域の方言であっても言葉そのものが悪いとは思わない。
方言が無作法に聞こえたとしたら、言葉を話している本人が無作法なだけである。
優しい人が話していたら、そこに不快な響きはない。
石川県の一部では「ありがとう」の意味が他県とは異なる
能登地方での「ありがとう」は他の地域とは意味が変わる。
元々の「ありがとう」に加えて、「ここで話は終わるね。またね。」のようなニュアンスが加わる。
この地域特有の「ありがとう」の使い方自体には何の問題もない。
ただ、北陸に多い人間性に問題がある人がこの「ありがとう」を使った際、「もう話は終わりだわ。じゃあな。」の意味しか残っていないことがある。
「はい、ありがとう、ありがとう。」と連呼するのだが、会話相手に言葉が全くかかっておらず「はい、おわり、おわり。」に聴こえるのである。
自分のためにしか言っていない「ありがとう」はとても不快な言葉に聴こえる。
能力がある人を見分けるのが大変
北陸に住んでいて、高圧的で自信のある人に出会った際に「能力があるかどうか」を判断するのがとても難しかった。
「自信満々でよく喋る人」に出会うと、最初は「この人は、仕事ができそう」と思うものである。
後になって、全然仕事ができない・会話が成立しない口だけのタイプと判明することが多い。
もし企業で私が採用担当になったとしたら、北陸では「偉そうだが、仕事ができない人」を見分けられないと感じた。
人生の中でいろいろと痛い目にあって、「関わっていい人・そうでない人」は分かる方のつもりなのだが、恐らく無理である。
「あんだけ偉そうにしてるのだから、仕事できるって思うじゃん…」という例が何度かあった。
偉そうに話すのは自由だが、「誰が言うか」「分かりやすく話しているか」「努力しているか」「能力があるか」で説得力が変わってくるなと思う。
(自分への戒め)
大人しい人にも注意
「偉そうでやかましい人」に散々振り回された後は、大人しい人を信用したくなる。
静かな人は「まじめでまとも」なんじゃないか、と勝手なイメージを持ってしまう。
だが、大人しい・静かな人がまともとは限らない。
勉強になったのが、「大人しいけど、偉そう」という人がたくさんいることだった。
「口数少なめで控えめな人かな?」と思ってちゃんと話すと「口下手で自信過剰な人」だったりする。
大人しくて静かな人は、後からどんどんボロを出すことが多い。
私は「少しでも奇行を発見したら疑う」ことにしている。
(まともな人はそもそも奇行がないので)
優秀な人は「高圧的でせっかち」か「淡々」としている
北陸のヤバい人の話ばかりしてしまった。
今度は、優秀な人の話をする。
北陸の優秀な人は、ここまでに挙げたヤバい人へ対処するように以下のタイプに分かれている。
- 高圧的でせっかち、ちゃきちゃきと仕事をする
- ドライで何があっても淡々と仕事をこなす
この2つを見ると、人間の進化・適応を感じる。
「ドライで淡々としている人」は、周りに能力がない人がいても、早々に見限って着々と自分の仕事をする。
「高圧的でせっかちな人」は、能力がない人が余計なことをしないように叱ったり怒鳴ったりして抑えつつ、組織で成果を出す。
「高圧的でせっかちな人」が周囲に厳しく当たる際は、問題における「内容」「善悪」「人の事情」を細かく判断しない。
私も入社して間もない頃は、「高圧的でせっかちの優秀な人」の直撃を食らってメンタルをやられそうになった。
「高圧的でせっかちなタイプ」には、自分がある程度「話が通じる人です!」と示すことで受け入れられる。
新入社員でステータスが低い時期は当たりがキツい。
ずっと「なるべく楽に仕事をしたい」と思っていたが、「先に頑張ってスキルや能力を身に付けた方がむしろノンストレス」だと歳をとってから知った。
「話が通じない人と話す」のが仕事をする上でいちばん嫌なので、能力は示しておいた方がいい。
石川県は外食店にハズレが多い
ローカルチェーンの8番らーめんを筆頭に、石川県はあまり美味しくない外食店が多い。
もちろん、ちゃんと事前に調べて美味しい店にいけば、美味しいが。
白身魚や蟹などの海鮮には恵まれている。
だが、調理した料理が美味しい店は少ない。
刺し身や寿司を食べるなら美味しい店はある。
が、加工の手間が多い料理を食べる際は慎重に店を選んだ方が良い。
北陸で仕事をする中で「この人、優秀だな」と思った人でも、味を気にしない人は多かった。
海鮮以外は何を食べても「ウマい」という感想を頻繁に聞いたので、味音痴の割合は多い。
金沢のラーメン屋は美味しくない
複数の店舗に行ったが、金沢のラーメン屋はそれほど美味しくない。
(まずいわけではない)
金沢ほどの規模の都市でラーメンが美味しくないというのは、異常な状態である。
石川県内に美味しいラーメン屋はあるのだが、割合が少ない分だけ客の集中(行列)が起きやすくなっている。
ちなみに、富山のラーメンは美味しい。
この差の理由は分からない。
田舎だから異常なのか?
長く一緒にいた優秀な上司が北陸の人だった。
この地域だけ老人や飲酒運転で車が突っ込んでくる事故が多いことに対して「田舎だからでは?」と言っていた。
だが、他の田舎で運転や接客、人柄を異常だと感じる頻度は少ない。
田舎であったとして、「優秀な人が地元を出ていきやすい」かどうかは影響しているのかもしれない。
優秀な人がアクティブであれば地元を出ていくし、「地元が好き」なら優秀でも地元に残りたがる。
明らかに優秀な人が地元を出ていった結果、「地元に残るタイプ」と「土地柄をあまり気にしない外から来る人」の構成が増えているのはありえそうである。
(ツボで虫を戦わせる蠱毒みたいになっていそうだ)
地元民であっても、マイルドヤンキー層は「北陸は良いところ!」と言っている人が多い。
冷静な人は「北陸は変な人が多い」と言っている。
東京は、住んでいる人口を考えるとマナーが良い地域だと感じる。
田舎特有の監視社会の傾向は強い
「地域にヤバい人が多い分、ふつうの人の行動には寛容なのでは?」と思うかもしれない。
全くの逆で他人を監視する傾向は強い。
(自分が育った田舎は寛容だったので、子供の頃のやかましい行動を見逃してくれた地域の人に感謝している。)
自分のことに忙しい優秀な人が少なければ、他人のチェックをしたがる野次馬気質の人が増えるのは自然かもしれない。
私の体験。
狭い個人店に行った際、他のお客さんに出くわして挨拶をすることがある。
この際、挨拶を返して来ないのに、じろじろと見てくる人の割合が多い。
挨拶しないなら完全に無視して欲しいし、こちらを見てくるならせめて挨拶を返して欲しい。
石川県に住んでいた印象、まとめ!
いろいろと石川県や北陸の批判を書いたが、話し出すときりがない。
「〇〇未遂の多重人格者」「漬物屋が野菜を洗っていない」「風呂屋が、水道が凍結していないのにどうしてここに来たのか?と聞いてくる」などなど、書けない話もある。
北陸に住んでいると、クレイジーな人と遭遇する確率が高すぎる。
2〜3割の確率で変な人に当たるので、うかつに警戒心を解けない。
関係を広げすぎると「ヤバい人に当たる」と感じたため、プライベートで交友関係を広げるのは最低限に絞っていた。
今回の要約!
- 他人の悪意やマナーの悪さで疑心暗鬼になりがち
- 痴呆老人とイキった人、態度の悪いギリ健に注意(併発もある)
- おとなしい人も、まともとは限らない
- 少しでも怪しい気配を感じたら、関わらない
- 何か被害を受けてイライラしても、仕返しせずに引く
(話が通じない人に関わるのは時間の無駄)
初対面の人には警戒心を持つよう気を付けていれば、北陸でひどい目に合うことは少ないだろう。
この記事は以上です!
読んで頂き、有難うございました!
記事が気に入ったらシェアをお願いします!