2024年1月1日、石川県の震源地に近い自宅で震度7の地震に被災した。
断水は38日間、余震は36日目まで発生していた。
地震が起きた際に行ったことを備忘録としてまとめる。
危ない目にあった記憶もいつかは忘れてしまい、また痛い目に遭うかもしれない。
被災生活で「困ったこと・やってよかったこと」も残しているため、災害にあった際に「何をすべきか」の参考になるだろう。
震度7の地震発生の直後に行ったこと
スマホの緊急地震速報で地震の発生を知る。
このときは「どうせ震度5ぐらいだろう」と思っていた。
部屋の重いものが激しく揺れたり、床から浮くように動き始め、「これはヤバいやつ!」と気が付く。
このときの揺れは相当な大きさで、私の部屋にあった棚や収納類は全部ぶちまけられた。
かなり重い電子ピアノ(22kg)も移動しているし、パソコンのディスプレイも落ちた。
後輩の家では、冷蔵庫が倒れたと聞いた。
私の家では、冷蔵庫の中身が7割転がり落ちた。
部屋のギタースタンドに置きっぱなしの高いギターが1番心配だったため、倒れないよう手を広げて抱きかかえるように守っていた。
結果、ギターは1本も倒れることなく、傷が付くこともなく無事だった。
特に「危ない」と感じたこと。
部屋に天井からぶら下がるタイプのルームライト(備え付け)があり、激しく揺れて割れるのではと心配だった。
左側のライトは壁に当たってヒビが入っており、電源を入れても付かない。
「電球の破片が刺さったらまずいな」と思ったので、手近にあった衣類で頭を覆った。
玄関では、持っている靴がほとんど下駄箱から落ちていた。
ふだん、そこまで慌てる方ではないのだが、部屋の物が全部落ちてしまうほどの大きな揺れには心拍数が上がった。
動揺しやすい人や慣れていない人は、パニックになるだろう。
地震から15分後「津波が来るので、逃げる準備をする」
余震はあるが、大きな揺れはおさまったと判断し、ニュースを観る。
大津波警報が出ている。
津波の警報は3段階ある。
- 大津波警報
- 津波警報
- 津波注意報
上から順に大きな津波を表す。
追記、私が住んでいた地域では、津波は地震の2分後に来ていたようだ。
逃げるのが15分後では遅すぎた。
家のすぐ近くにデパートがあり、この4階・5階の高さなら津波も大丈夫だろうと判断した。
ここに逃げるべく、荷物を準備する。
カバンに詰めたのは、以下の通り。
- 炭酸水(水)
- りんご(冷蔵庫から落ちていて、目に付いた)
- ダークチョコレート(冷蔵庫に入っていた)
- スマホ・iPad
- イヤホン
- 財布(保険証を含む)
- 缶詰のパン
住んでいた場所は標高2.5m程度で、津波の予想は5m。
いつ津波が来るか分からなかった。
そのため、急いで手近なものをカバンに詰めた。
本来は以下の物も持っていきたかった。
- スマホの充電器
- 予備バッテリー
- 歯ブラシ・爪切り・耳栓などの外泊セット
- ウエットティッシュ
- トイレットペーパー
荷物の他、歩きやすい靴とダウンジャケットを着て外に出た。
フード付きのアウターは、防災ずきんと防寒の役割を兼用できるので最強である。
地震から25分後「部屋から出る」
自分の部屋から出ると、地震の被害の大きさに愕然とした。
部屋を出て目の前にある家が大破していた。
マンションの管理人が持っている家で、許可を得て掲載している。
この他にも、ブロック塀が倒れたり、道路に地割れや隆起があったりと散々な有様だった。
下水の設備が破損したことで、悪臭が充満しているのも印的だった。
(匂いは水分の蒸発と共に半日~1日程度で消える)
追記。
マンションの管理会社から「この家がいつ倒壊するか分からず危ないので、避難所に逃げてくれ」との連絡があった。
私は神経質なので、避難所や車で寝るのは厳しい。
ちょっとした物音で起きてしまう。
「怪我しても死んでも文句は言わないので、マンションにいさせてくれ〜」とお願いした。
誰も住んでいないマンションで深夜までピアノを弾きまくっている。
地震から30分後「デパートの5階に到着」
大津波が来るのを恐れて、高所であるデパートに逃げ込んだ。
デパートの通常の入り口は、防火扉が閉まっていてどこから入るか分からない。
そのため、車の出口のスロープを進行方向とは逆向きに歩いて登った。
やってはいけない行動をして自分の身を守るのは、ディストピア感がある。
駐車場の中も地震により荒れていた。
固定金具が片方外れて看板が宙ぶらりんになっていたり、割れた壁や天井の破片・粉が床に散らばっていた。
ダウンジャケットのフードがなかったら落ちてくるモノが怖かっただろう。
ようやく安全な場所で落ち着くことが出来たので、連絡をくれた家族や友人に無事を伝える。
本来はニュースサイトを見るべきだったのだが、ニュースはあまり見なかった。
(ほんとは良くない)
「満潮は19:40」「大津波警報がずっと出ている」などの大概の情報は信頼できる人が送ってくれたので、自分で調べるより早くてとても助かった。
感謝である。
駐車場内で煙草を吸っている人がおり、ずっと匂いがして不快だった。
しかし、もし自分が煙草を吸う人なら同じように「いらいらして吸いたくなる」とは思う。
マナーが悪いとは思うが、「まあ、そういうヤツもいるわな」という感情だった。
地震発生から4時間後「自宅に帰った」(本当はダメだが)
デパートに避難して3時間半が経過し、地震発生からトータルで4時間が経った時点で自宅に帰った。
このとき、大津波警報がまだ継続して出ていたので、本来はやってはいけない行動である。
この行動をした言い訳を聞いて欲しい。
私が住んでいた場所は海岸にかなり近い。
逃げたデパートの屋上で道路を観察していたが、津波が来る気配も、来た気配もない。
「海にこれほど近い場所で4時間も1度目の津波が来ないってありえるか?」
そう自問自答した。
答えは否である。断じて否。
「津波の第2波、第3波は第1派より大きい」とはニュースで繰り返されていた。
だが、第1波の津波が4時間も立って陸に上ってくる気配もないなら、第2波、3波もたかが知れているだろう。
もし危険な状態になるとすれば「すでに発生した地震による津波」ではなく、「これから発生するかもしれない震度7以上の地震による津波」が発生したときだろう。
「再び大きな地震が起きたら、またすぐにデパートに逃げれば良い」と判断して家に帰ることにした。
この日は、高台などの避難所に逃げて、車の中で過ごした人がほとんどだったようである。
翌日は仕事で地震の後処理だったことを考えると、家で眠って良かったなと思う。
本来、大津波警報を無視した危ない行動はNGである。
だが、過去の地震の判例・データを調べた上で決めた行動だったので、後悔はしていない。
私が住んでいたマンションで明かりが付いていたのは私の部屋だけだったと思う。
(一軒家で明かりが付いていた家はけっこうあった)
メンタルは落ち着かない
自宅のマンションに帰り、なるべく普段どおりの生活を心がけた。
やることはないのでピアノを弾いたし、カモミールティーも飲んだ。
私の行動は不謹慎かもしれないが、無駄にせかせかして休めないのが一番良くない。
だが、以下の要因であまり寝付けなかった。
これほどの災害にあった日は、何をしても興奮状態だったと思う。
- 余震が続く
- 救急車などの緊急車両の音が鳴り止まない
- 上空を飛ぶヘリコプターの音が聴こえる
- 断水でトイレや風呂が使用不可
余震は30分ぐらいの周期でずっと続いた。
「ぐわんぐわん」「ゆらゆら」というイメージしやすい揺れはまだマシである。
地面の下をハンマーで殴ったような「ゴゴン!」「ゴゴゴ!」という1~2秒の強くて短い揺れはとても気持ちが悪かった。
結局、余震は発災から5日立っても続いている。
(震度5や4が1日に何度もあってビビる)
救急車のサイレンもずっと鳴り続いてた。
私は耳栓をしていたが、それでも聴こえてくる。
人によっては緊急車両の音もメンタルにとても辛いのではと思う。
上空でヘリコプターが飛ぶ音もかなり聴こえていた。
(耳栓をしていればマシ)
住んでいる家によっては、音よりも気流による揺れが気になるようだ。
ヘリの振動は、余震とも間違えやすい。
夜中は地上の人が見えないので、探索ではなく報道のヘリではないかと思われる。
電話は迷惑
緊急時につき、安否確認や避難をおすすめするような電話が何度かかかってきた。
電話は迷惑だった。
移動中や何か作業をしているタイミングでは、なおさらである。
すぐに回答が欲しい内容ならまだしも、「いつ確認しても良いような情報」を電話で伝えてくるのはふさわしくない。
勤め先から夜中の11時に翌日の出勤に関する情報の緊急連絡網(電話)が回ってきた。
「流石にこの時間はやめてくれや…」と思った。
私が連絡網を繋いだ人は、避難所で車の中で寝ていて、すぐには電話に出られなかった。
折返しの電話をもらったのは10分後で、私も夜中に電話を取るのが嫌だった。
電話に出なかった人は飛ばして、次の人に電話をかける必要がある。
電話相手は子供が産まれたばかりの方で、家庭の事情を考慮すると夜中に電話はしたくなかった。
そのため、会社のルールは無視してメッセージで連絡を済ませた。
電話は不便
勤務先からの連絡網は「翌日は、津波が問題なければ来れれば出社してね」という内容だった。
こういったシーンでも電話は不便である。
翌日の朝になったが、道路状況によっては会社に行けないかもしれない。
もし道路が悪い道で立ち往生になってしまったら、緊急車両の妨げになってしまう。
「まだ誰も会社に着けていない」という情報もあり、家を出るべきかどうか、尻込みした。
「誰かが到着できたかどうか」が分かれば良いのだが、電話では連絡網を回しなおす必要がある。
メッセージなら「〇〇さん、到着してます」「道はなんとか通れました」で済む。
電話は本当に不便である。
日常から「合意を得ない電話は不快」と思っていたが、今回の被災で電話の悪い部分を再認識した。
被災中の衣食住で困ったこと・やってよかったこと
災害をまともにくらって困ったこと・やってよかったことをまとめる。
(まだ絶賛被災中の状態です)
地震によって発生したのは「断水」のみで、「電気・ガス」は使えていた。
この状況が変われば対応も異なることに注意。
1月12日(日)、地震発生から11日経過時点で市から断水に関する情報があった。
以下、浄水場付近の破断した配管の写真。
断水は2ヶ月以上続くらしい。
「衣」メリノウール製品は抗菌で臭くならない
服に関して、身に付けていてよかったと思うのは以下。
- メリノウールの五本指靴下
- メリノウールのネックウォーマー
- エアリズムステテコ
- フード付きダウンジャケット
この中で最も貢献してくれたのは「メリノウールの靴下」である。
断水していて風呂に入れない状況で困るのが身体が臭くなることである。
特に「足」「股間」「頭」はくさい。
(脇は上記3つ程ではない)
メリノウールは天然の抗菌・防臭繊維である。
足に汗をかく泊りがけの登山であっても、靴下1足で過ごす人がいるほど優れた素材だ。
これを持っていなかったら水虫と足の臭さで悶えていた。
メリノウールの靴下なら、2~3日は同じものを履くことができる。
靴下以外の服も、2~3日は同じものを着ていた。
着たものは、もう一度着ることになる可能性を考えてハンガーに干しておく。
「3日放置すれば新品」は金言である。
「食」あったかいものを食べるべし
避難生活を送って感じるが、非常食やカロリーメイトのようなものばかり食べていると「心がひもじい」と感じるようになる。
缶詰のパンは不味くはないが、食べていて悲しい。
余裕があれば、温かいものを食べるようにしたい。
私は後輩の家に行って「肉・野菜炒め」を作って食べた。
断水でフライパンを洗うことはできないので、1発限りの大技である。
断水であっても、冷凍食品などの電子レンジで温めるものは食べられる。
「食」カップラーメンは馬鹿にできない
私はカップラーメンは「栄養がない」とみなしてなるべく食べないようにしている。
実際に栄養価はないし、お腹が膨らむ意味しかない。
だが、震災にあって「ひもじい」と感じる状況ではジャンクな味のカップラーメンが美味しい。
断水している状況ではカップラーメンはあまり人気がないので、店頭にも在庫が残っている。
余談。
筆者は何かしらのアレルギーがあるようで、カップラーメンを食べるとくしゃみと鼻水が止まらなくなる。
(小麦粉の説がある)
個人的な備忘録として、私は被災時でもカップラーメンは食べない。
「食」水のストックは重要
当然ながら、震災時は水のストックが重要である。
私は自宅に水のペットボトルが2本しかなかった。
パナソニックの簡易浄水器を使って水道水を飲んでいるため、水を買う習慣がない。
だが、炭酸水は50本以上あった。
楽天のお買い物マラソンで店舗数を稼ぐために、よく炭酸水を買った。
この炭酸水が私の命を繋いだ。
炭酸水として飲む他、以下の使い道に役立った。
- 沸騰させ、お茶を飲むのに使う
- 沸騰させ、食器や歯ブラシを洗う
- 沸騰させ、カップラーメンに使う
- プロテインを飲む際に使う
「いつか飲むとはいえ、こんなに炭酸水をたくさん在庫に持ってどうすんじゃい」と思っていたが、役に立って幸いである。
給水所にも行かずに済んだ。
「住」断水で風呂に入れない
断水すると、風呂に入ることができない。
私は「まあ、数日なら平気じゃろう」と思っていた。
しかし、2日目から風呂に入りたい衝動が膨れ上がる。
過去の地震のタイプによっては1週間程度で断水から復旧したらしい。
だが、今回の地震は道路に陥没や地割れが多数発生している。
写真ではしょぼく見えるが、実際は40cmほどの地割れである。
中を除くとさらに50cmの深さで空洞化している。
水道管の破損も相当な状況ではと思われる。
私は10日以上の断水を覚悟している。
(結果、10日以上断水が継続しています)
そこで役に立つのはウエットティッシュである。
私を含む生命力の強い人であれば、これで顔も拭ける。(ストロングスタイル)
ただし、アルコールが目にしみる。
できれば顔・身体用のフェイシャルペーパーの方が良いだろう。
ウエットティッシュさえあれば、顔・脇・股間・足をどこでも拭くことができるので、最悪の自体は避けられる。
「住」断水でトイレが使えない
断水になると、トイレも使えなくなる。
冗談ではなく死活問題である。
断水の場合、雨水や地下水、川の水を組んでトイレのタンクに入れ、水を流す対応が必要となる。
体育館でわざわざトイレ用の水を配っていた程だ。
いざというときに水をどこから持ってくるか、確認しておくべきだろう。
たくさん使うことはないだろうが、トイレットペーパーも必要となる。
店頭ではトイレットペーパーが売り切れることもあるが、強度が弱いため、トイレ以外の用途では使いにくい。
私は大量に持ってもしょうがないと感じている。
トイレが使えないことで、2度ほどワイルドスタイルで用を足すことを迫られた。
(タイプ:ワイルド)
断水時のトイレの選択肢を以下にまとめる。
手間・プライドなどを踏まえて、ここから選ぶことになる。
- 人の迷惑にならない山奥でアウトドア
- 雨水や地下水などをトイレのタンクに入れて、排泄物を流す
- 尿はペットボトルにいれる(迷惑にならない場所で廃棄)
- 簡易トイレを使う(給水シートが入ったただの袋)
- 簡易トイレは使わない風呂場に置き、換気扇をフル回転
- 簡易トイレは衛生廃棄物で回収可能
多少のガサツさが大事
よく年寄りが「ごはんを食べた茶碗でお茶を飲む」様子を見かける。
平時ではちょっと汚いかもしれないが、震災時には適した行動だ。
震災時は多少ガサツな方がストレスがない。
マメすぎる人は衣食住に関することで、常にモノの用意を強いられる。
私が行ったことは以下のとおり。
- フライパンは油を拭いて再度使う
- コップは水を切って、洗うのは諦める
- トイレの小はペットボトルに(水を汲むのが面倒くさい)
- トイレの大は簡易トイレに(水を汲むのが面倒くさい)
- 服は3日間着る
被災時はお金がかかる
被災時にもっとも快適に過ごす方法は、車で1〜2時間移動して地震の被害がないエリアに滞在することである。
ただし、仕事や家庭の都合でほとんどの人が困難だろう。
「被災地の外に逃げる」のは無理だとしても、「ガソリン」「物資」「風呂」のために最低限の遠出をすることはある。
(道路が通行可能なら)
この「長距離移動」「銭湯」「移動先での外食」で想定しているよりもお金がかかる。
「贅沢するな」と思うだろうが、精神的に疲れたときの我慢は余計につらい。
被災生活は家計へのダメージも大きい。
家が倒壊した人には、どれくらいの補助金が出るのだろうか。
ドライな話だが、車が通るだけでかなり揺れる古い家は、震度7の地震で倒壊するのは自然なことと思う。
石川県・能登半島地震の体験談、まとめ!
地震は、数日経った現在もずっと続いている。
1時間ぐらいごとに震度2~3の揺れがある。
1日に2回ほど、震度4~5の揺れも発生する。
断水は10日以上続きそうで、風呂に入れないのがとても辛い。
(ただし、遠出すれば風呂もガソリンもあるらしい)
今回の記事のまとめは以下のとおり。
- 死んだら終わりなので、逃げるときの荷物は吟味しない
- 無事なら、また家に戻ればOK
- 海が近ければ、津波は1分で到達する
- メリノウールの靴下を履け
- 水か炭酸水を常備せよ
- ウエットティッシュはなんでも拭ける
記事の中では強調しなかったが、耳栓も神経質な人には役に立つ。
私の睡眠を救ってくれた。
ただし、普段から耳栓を付け慣れていないと不快感はあるので注意。
複数比べて一番良かった耳栓はモルデックスのメローズである。
この生活はしばらく続きそうなので、また発見があれば追記する。
この記事は以上です!
読んで頂き、有難うございました!
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余談「震災情報や連絡」で感じたこと
神経質な筆者が被災中に感じたことを紹介する。
不満・ぐち多めの内容だ。
言い訳をするが、そこまで私も本気で気にしているわけではない。
「社会・人間ってそういうもの」と割り切っている。
だが、「みんな何となく思っていること」ではないかと考えて書いた。
あくまで余談なので、「役に立つこと」だけ知りたい人はここまでで読むのをやめてOKである。
仕事での「被害はどうですか?」の電話はうっとおしい
震災で「仕事が休み」か、「むしろ忙しい」かは職種による。
私の場合は普段の5倍は忙しかった。
被害状況のまとめや復旧方法の検討などの対応に追われる。
その中で「被害はどうですか?」という問い合わせの対応で時間を取られるのが辛かった。
「余計な連絡で時間を取る人」よりは、「連絡をしない冷たい人」の方が印象が良い。
必要な連絡はすぐに取っているので、連絡がないということは「助けは不要」「優先順位は低い」ということである。
あまりにしつこいと「震災特需の仕事が欲しいのかな?」と勘ぐってしまう。
電話の際も、ネットで調べて分かることを忙しいときに確認されるのは困る。
相手に「知らないです」「今それは聞かないでもらえますか」と言って会話や連絡を終わらせるのもストレスがかかる。
電話は短めが助かるし、返信するかどうかを選べるメールでの連絡が嬉しい。
職場で被災状況を長々と相手に電話していると、「忙しいときにだらだら不幸自慢するなよ…」と周囲に思われてしまう。
おばちゃんの愚痴と変わらない会話は、切羽詰まっている仕事中は不要である。
メールでは「返信は不要です」「落ち着いたらで良いです」とメッセージに書かれていると助かるし、自分もそう書くように心がけている。
支援物資の確認がめんどくさい問題
職場で「東京から車で支援物資を持っていく」という話があがった。
ここで「支援物資として何を持っていけばよいか」の確認が職場内で行われたのだが、むしろ確認担当者の負担・仕事を増やしていた。
「個人で欲しいものでも、なんでもいいよ」という名目で意見聴衆が行われていたが、こういうときの「なんでもいい」はなんでもよくないのである。
しまいには、「今は在庫があるものでもいいので、今後の災害で使うことを考えて要望を言って欲しい」と指示がある。
「もう何も言えないわ…」と思ってしまった。
この「なんでもいい」問題、筆者自身も高校生の頃に「自分もそう振る舞いがちである」と気が付いた。
「血液型A型タイプの悪いところ」だと思っている。
本当は神経質でこだわりがあるくせに、寛容なフリをしたいのだ。
自分でこの面を自覚してからは「発動しないようにする」か、「なんでもいいけど、私が嫌な案だったら断るよ」と言うようにしている。
話をもとに戻す。
「高校生の私でも分かるような嫌な行動を、歳が2〜3倍のおじさん達がするなよ」と思う。
「支援物資を届けに来ることが決まって引っ込みが付かなくなっている」と感じた。
親切の押し売りで相手の時間を使わせるのは良くない。
なんでもいいなら、本当になんでも持って来い。
さんざんディスったが、支援物資自体はとても嬉しい。
断水はしていたが、ケトルやポットのお湯や電子レンジで食べられる食事は助かった。
生活に必要な物が既に足りているのであれば、贅沢品の方が心の支えになる。
栄養のある果物は良いと感じた。
(手が汚れて嫌がる人もいるが、ウエットティッシュがあれば大丈夫)
「無事」は「大丈夫」ではない
ニュースの報道やネットの報道に掲載されている写真や動画は、震災の特に酷い部分を切り取っている。
「観ている側はここまで酷いのか!」と心配になる。
だが、全てが報道ほど酷いわけではない。
不安になった人は、実際に被災者に連絡して問題がなければ「もう大丈夫なんだね。」と思うようだ。
この「大丈夫」と言われるのはあまり好きではない。
「余震」「緊急車両」「非常放送」「断水で風呂・トイレ・料理・手洗い不可」で街自体にピリピリした空気が立ち込めている。
「無事」ではあるのだが、「大丈夫」とは言い切れない状況が続いている。
第三者に「大丈夫ですね。」と言われると、何も伝わっていないんだなと思う。
「確認して安心したかっただけかよ…」と感じてしまう。
被災地にいる人とそうでない人の感覚のギャップだ。
仕事の部分で「電話は短い方がいい」と書いた。
が、プライベートで「確認のみ」の連絡をされるとむしろ事務的になってしまう。
不思議なもので、気遣いができる人とはむしろ話したいし、こちらを労る気持ちが伝わってくる。
仲が良い人がむしろ連絡をして来なかったり、最低限で済ませてくれるのはとても嬉しかった。
例え話。
「むせたり、苦しんでいる人」がいるときに、「大丈夫ですか?」と声をかける人がいる。
親切心でやっているのだろうが、「むせている人が返事できるわけないだろう」と思う。
聴いている本人が安心したいだけの「大丈夫?」は、困っている人には不要だ。
写真や動画では正しくニュアンスが伝わらない
上で「被災地の状況が正しく伝わらない」と嘆いた。
だが、実際に現地の状況を正確に把握するのは、「実際にその場にいなければ無理」と私も理解している。
被災している側として主張したいのは、
- 建物や道路などの全てが少しずつ歪んでいたり
- 電柱から電線が落ちていたり
- 危険を知らせる音が常に鳴っているなど
「日常に見えて日常ではない」がたくさんあるということだ。
RPGのストーリーの中で魔王が襲ってきた後の町のように、いたるところに爪痕は多く残っている。
「道がわずかに歪んでいる様子」「曲がるはずのない強度のものが変形している様子」「古くない建物が5度くらい傾いている様子」を記録しようとした。
だが、その程度の壊れ方では伝えたいことが写真にうまく載ってくれない。
「派手に倒壊した家」などでないと、映えないのである。
だから、ニュースは一番ひどい部分を切り取って放送する。
報道を観た人は不安になるし、現地の実状を観た人は「ニュースほど酷くはないし、大丈夫なんだね。」と考えてしまう。
結論として言いたいこと。
カメラは実物の限られた側面しか表現できない。万能ではない。
一部を切り取ったり、焦点距離や光・角度などの撮影方法で表現を加えられるが、伝えたいことが載るかどうかは分からない。